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映画「地球が静止する日」のクソリメイクについて

 
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謝花也(しゃかや)


RSEL叡智教員科に所属しながら、保育園でこどもたちを育てている。三度の飯より叡智がすき。得意科目は自因自果。五層対論。

◉ ボディフィギュアタイプ
「イカリ富士山」の隠れ「くりせん」型



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◉前回の記事:映画「地球の静止する日」で描かれている本当の宇宙人の姿とは!?

しゃかやです。

今回も引き続き映画紹介・「地球の静止する日」第二弾!

今回は「地球の静止する日」のリメイク版「地球が静止する日」との違いを見ていきますよ。

【1950年代はSF映画がブームに】

1950年代はSF映画が流行しましたが作品のほとんどが宇宙人は敵対するモンスターとして描かれたり、ストーリーよりも派手な演出ばかりが優先されていました。

この時からイメージ戦略が始まり、宇宙人と言えば「タコ」や「グロテスクなエイリアン」という刷り込みが始まっていました。


(禁断の惑星 1956年公開)

(遊星よりの物体X  1951年公開)

(遊星よりの物体X  1951年公開)

(宇宙戦争 1953年公開)

そんな風潮な中、「地球の静止する日」はストーリーを重視して高い知性と善意的で友好的な宇宙人像を提示し、人類と宇宙人のコンタクトそして人類の動向を描いた本格SF映画の先駆的な作品でした!!

そして登場する宇宙人(SP)の「クラトゥ」、そしてクラトゥと共に登場するロボットの「ゴート」は、1977年の映画「未知との遭遇」が公開されるまで、友好的宇宙人の代表的な名前になるほど親しまれていました。

しかしこの時からも映画の宣伝で用いられたゴートの写真によって、敵対的宇宙人が地球を侵略してくる作品だと誤解されることもあったそうです。

そして着々と宇宙人を描く映画と言えばエイリアンが侵略してくるという刷り込みは続けられ、地球の静止する日も2008年リメイク版でエイリアン映画となってしまい、当時SPが地球の人類に向けたメッセージなど少しも描かれなくなりました。

【旧クラトゥと新クラトゥの違い】

〈人でなくなったクラトゥ〉

旧クラトゥは銃で兵士に撃たれた後、病室にて大統領秘書に『核兵器が他惑星への攻撃にやがて繋がりえることを忠告したい』と話していた。旧クラトゥは高い科学力を持っていることと地球の人類に対して深い理解を示しているが、地球人類が無知な為に旧クラトゥは半ば呆れている(トホホ)

新クラトゥははじめ灰色の膜に覆われており、撃たれた後搬送された病院で、メスを入れるとその皮が剥がれ落ち中から人間男性の姿があらわれる。なんとなくエイリアンを彷彿とさせるグロい生々しいシーンが加わっている。

さらに意識を取り戻した新クラトゥは
「現実味が無い。まずはこの体に慣れることが必要だ」と話す

「あなたは人なの?」という問いに対して「体は人だ。人類と接触するために人間の姿を取った」と応える。無表情で無感情。同じ種ではな無い事を感じさせる。人でない新クラトゥは人の事が分からず、地球の人類は得体の知れないクラトゥに怯え、お互いコミュ障で平行線のまま会話が成り立たない。

〈車内での親子とのやりとり〉

子供「エイリアンと闘った方がいいよ!全部やっつけるべきだよ!」
母親「やめなさい」
子供「ねえ、エイリアンと闘った方が良いと思う?逃げた方が良いと思う?」
新クラトゥ「どっちもダメだ」
子供「じゃあどうすれば良い?」
新クラトゥ「何をしても無駄だ」

旧クラトゥは地球人類に解決策を示し続けていたが、新クラトゥは解決策を示さない。

〈人を殺めるクラトゥ〉

旧クラトゥは殺し合いになり殺すくらいなら殺される方を選択していた。それは自分の与える影響がその先周りににどんな影響を与えるかを理解していたから。
だから旧作では高い科学力を持ちながらもクラトゥが直接攻撃することはありませんでした。(代わりにその役割はロボットのゴートが担っていました)

新クラトゥは、警察官に捕まりそうになった時に念力で車を動かし轢いて警察官をあっさり殺めてしまう。
子供に「人殺し!なんで殺したの?」と罵られる。
その後、新クラトゥの念力によって蘇生させる。「殺すつもりは無かった」と弁解するが優しい旧クラトゥの面影はない。

〈あっさり人類を滅ぼすことを決断するクラトゥ〉

新作でのクラトゥの目的は、「地球を救うこと」。地球に来たのは人類を救うためではなく地球を人類から救うため。このまま人類を生かしておくと地球が死んでしまう。地球のような星は宇宙でも一握りで、人類という一種族のために地球を死なせる訳にはいかない。だから彼らの手で人類を淘汰して、人間以外の生き物を保全することに目的があった。

わずかな望みをかけノーベル学者のバーンハート教授と新クラトゥを面会させ、教授は必死に説得を試みるが、努力むなしくすでに計画は決定され進行されていた。

ロボットのゴートはナノサイズの大量の機械虫の群れに変化して人類と人工物を分解していくことになってしまった。

 

パニックになる人類と、危機に瀕して変化しようとする人々になぜか可能性を見出した新クラトゥはゴートに攻撃を辞めさせ、光の球体と共に宇宙に帰っていく。旧クラトゥとは違い、地球の代表者にメッセージを伝えることもなく行ってしまう。

どうでしょう?
ただ唯一友好的宇宙人の姿を描いていた映画、『地球の静止する日』も、リメイクによってここまで改変されてしまいました。

リメイクというよりも、もはや別のストーリー。

何故か宇宙人映画でこの作品だけリメイクされたこと、そして内容の改変。

ここには何かしらの意図が見え隠れしないでしょうか?

次の記事へつづく。
映画「地球の静止する日」から僕達が学ぶべきこととは?

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