サムライの姿勢の秘密。美しいお辞儀の鍵は「肩肘・みぞおち・顎・手首」にあり。

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漁師の家系に生まれ、幼少から伊豆の海と共に育った素潜り名人。あわび採りでは右に出る者がいない程の運動神経を持ちながらも、全く新たな身体科学を提唱するRSEL研究所を知り、己の無知さを痛感する。その後、漁師を辞めRSELの本拠地である湘南へと移住。持ち前の明るさと体育センスを発揮し、体育稽古クラスの指導を手伝う。

◎ ボディフィギュアタイプ
「春日フジサン」濃厚コンボ型

「姿勢」

姿勢とは、姿の勢いと書く。その姿に勢い=「活気」があり、「生命力」があるかどうかを、その「姿勢」が示しているんだ。
猫背で顎が前に出ていて、常に伏し目がちの姿勢だったり、おばあちゃんみたいに腰が曲がっている姿勢を見て、勢い=活気・生命力を感じるだろうか?そう、生命の躍動とは言葉ではなく、形=幾何から感じられるもの。

我々が美しいと感じる時

私たちは、自然から、言葉にできない何か圧倒的な存在を感じる。

荒々しい波
立派に生える大木
流れる雲
猛々しい火山の噴火

たとえ静止した写真であっても、フィルムを飛び出しそうな躍動感、姿の勢いを感じることができる。その生命の運動、息吹き、呼吸という生命感から、人は「普遍的な美しさ」を感じるんだね。

軸が立っている力強さや
柳のようなしなやかさやたおやかさ
赤ちゃんの肌のようなきめ細やかさや
静けさ、猛々しさ、厳しさ、優しさ
いろんな感じが、同時にあるような矛盾を矛盾なく表現されたものを、人は美しいと感じるのだろう。
逆に、美しくないものには、固定した動きの止まった、ベタ〜っとした感じや、一方向な感じ、分離した感じを受けたりする。

 

サムライの姿勢は美しい

そして、人体の「姿勢」にも、その意味が込められているんだ。
明治の志士や撫子達の写真を見れば、彼らの凛とした「姿勢」には、そうした勢い=生命感を感じはしないだろうか?

「姿勢」が整っていれば、生命感を感じるし、美しさや厳しさやたおやかさを同時に感じたりする。
逆に、ヌメヌメじめじめどよ〜〜んとした重い空気感の人は、どこか姿勢が歪んでいたりするのだ。

そんな歪んだ姿勢の人は、生命力のなさ故に、様々な病気にかかりやすい。それをBODY VOICE理論では身体の部位や症状ごとに解析している。
人体の自然である「内的秩序」の声を聴く。そのサインは目に見えた形として、表されるというのが「姿勢」である、ということだね。

例えば「この人、なんかおカタイ人だな…」と感じれば、その人の身体もどこか硬いだろうし「この人、出しゃばりすぎ…ウザ…!」
と感じれば、その人の身体もどこか出しゃばっているだろう。
その人の偏った観測が、人体の偏った癖と相関しているというのが、観測者効果と身体の関係=BODY VOICE理論だ。
では、今回は上半身の「姿勢」に関するBODY VOICEを見ていきたいと思う。

【肩肘のBODY VOICE】

まずは上半身でも目立つ肩と、あまり注目されない肘についてのBODY VOICE。

『肩肘の硬さこわばりはカッコつけしいのシンボル。
肩肘の脱力度合いが実は『ゼロカッコつけしい』(真のぬくもり)がアウトプットできるか?否か?を姿勢として体現しているのです。
だからこそ蹲踞姿勢にて肩肘の脱力が体現できていない人体端末では、対他者への真のぬくもりのアウトプットが実は円滑には出来ていないというシンボルを現しています。』

肩肘が強張っていて、上がっちゃっている人・・・自分を良く見せようと頑張っちゃってませんか?

実は、肩が強張っているのは、足指・足裏を感じれていないからなんです。
下半身のBODY VOICEで説明したように、足裏は根っこであり、アンテナです。支えてくれるものに対する意識が足裏感覚に現れます。

支えてくれる人もの場所を日頃から感じれていれば、イキってカッコつける必要などなく、周囲の助けを借りながら、生きているありのままの自然体な自分でいられるんです。足指をきちんと整えて、足裏を感じる機会が増えれば、自然と肩肘も緩んでくるでしょう。

そう考えると、日本の畳文化なんかは足裏感覚を鋭くするためにあったのかもしれないね。茶道や、武士の世界では、礼節が重んじられるから、肩肘張ってかっこつけてたら、アウトだもんね。
特に、武士の世界では、足裏感覚で、支えられているものへの尊重がないと、武将として御上として、家臣を束ねることなんて、できやしなかっただろうし、カッコつけてイキってたら、斬られてオワリの世界だ。肩肘の強張った現代人が、昔の日本にタイムスリップしたら、一人だけカッコつけて滑稽な自分が恥ずかしくなるかもね。
日本の文化には、お箸や筆など、肩肘が強張っていると上手にできない所作、風習が多くある。

 

【みぞおちのでしゃばりのBODY VOICE】

次は、みぞおちのでしゃばり。

『蹲踞や四股姿勢での、みぞおちのでしゃばりはマイワールド押し付け度合いのシンボル。仙骨(仙腸関節)を反ったときに必要以上にみぞおちが出しゃばる人は人とつながり波風が立ったときに胆力で踏ん張れば踏ん張るほどマイワールド(自分の価値観や感覚)を周囲に押しつける傾向を現しています。』

みぞおちがでーんと前に出ちゃってる人は、慎みのなさがそこに現れちゃってるってこと。

辛いときや関係性がこじれたときほど、マイワールドを押しつける醜さを牽制して、相手の背景を汲み、相手がしてくれたことや、お陰様を想い出すことで、関係性は丸く収まり、醜いみぞおちのでしゃばりも収まるだろう。

みそおち、じゃなくて、もっと下の下腹がでーんと出っ張るように意識すれば、自然とみぞおちも鎮まるよ。

またBODY FIGURE的に言えば、好き嫌いで物事を判断しがちな左右型(なで・いかり型)は、胃袋型とも言われ、胃袋にエネルギーが集まりやすい。
そのため、食べることで感情を安定させる傾向のある左右型は、ツライ時、感情が落ち込んだ時ほど、好きな美味しい食べ物をたらふく食べて、みぞおちを出しゃばらせ

「だって、好きなんだも~ん」

と、自分の好き嫌いの主観的な感情論マイワールドで、より周囲を振り回したりしがちだ。
そんな胃下垂気味・みぞおち出しゃばりがちの方におすすめは、ズバリ逆立ち

一日3分の逆立ちで、内臓も元の位置に戻り、頭もすっきりする。
みぞおちの出しゃばりをけん制し、周囲と自分を冷静に客観視し、関係性をスムーズに紡ぐためにもまずは逆立ちからやってみよう。

 

【顎のでしゃばり】

お次は顎のでしゃばり。

『顎のでしゃばりは自己完結思考(内部内省)押し付け度合いのシンボル。蹲踞姿勢での顎のでしゃばりが有る人の言葉はどんな耳障りのいい言葉でも説得力のありそうな言い回しでもじつは言葉酔いである』 要するに、その状態とは、わかりやすく言えば、妄想状態であり、自分の頭の中の世界を現実だと思いこんでいる脳内VR。
スマホの画面を見る時間の多い現代人はほぼほぼ顎がグッと前に出ている。
顎が出ることによって、首が前傾し、心臓から送られる血液の流れが悪くなり、思考が断片的に途絶えてしまうんだ。

自分の色眼鏡で世界を見て、人から見た自分とか、場の空気とか、を全く感じられないマイワールド。これをRSELでは内部内省と呼んでいる。
内部内省している人は他人と上手に連携できない。人の背景や機微を都合のいいように自己解釈して、場の流れを認知できないゆえに、常にタイミング(機度間)を外してしまう。

更に、顎が出ることによってある場所が活性化する。その場所とは…「R複合体」いわゆる「爬虫類脳」と言われる場所だ。
人間のこんな行動がこの「R複合体」に起因すると言われている。

強迫神経症的な行動

毎日の個人的儀式や迷信的行為

昔の習慣へのやみくもな順応

儀式の再現

極端な先例重視(法律、宗教、文化など)

また、爬虫類脳による人間の性格特性は、攻撃性、冷酷さ、儀式偏重の行動、支配や権力や所有への欲望、力による正義、他者への支配と服従、衝動強迫や妄想、崇拝、頑迷社会的序列への欲求。
こう並べると、顎が出てるだけで…そんなダークサイドなの…!? と思うかもしれないが、これがまさに亜空間知能との同期であって、姿勢が歪むことによって、このような低次元の行動パターンに縛られてしまうことが、怖いところなんだ。

「爬虫類脳」は「恐竜脳」とも言う…弱肉強食の恐竜的な行動パターンで「大きいことが正義である」戦争経済の仕組みそのものである。
そして、恐竜の顎を見てみると…まさに顎が出ているのがわかるだろう。

顎が出ることも足裏を感じられていないことから、起こることでもあるんだ。
足裏を感じられるようになると、身体の正中線を感じられるようになり、そこからズレた姿勢を取ると違和感を感じるようになる。
足裏、仙骨を感じていれば、顎は自然と引くように意識されるんだね。
明治の侍で顎が出ている人はいない。一瞬で勝負が決まる世界で、フワフワ妄想してたら、やられちゃうからね。

 

日本人なのに「お辞儀」ができなくなった現代人。

日本人の文化といえば、お辞儀である。
現代では、お辞儀をする機会もなく、美しくお辞儀できる人はなかなかいない。まさに失われてしまった身体文化である。

ぜひ、正座して、お辞儀をしてみて、美しいお辞儀ができるかチェックしてみてほしい。

『お辞儀の手首のでしゃばりは、自分の体と他の身体の声の取扱の雑さのシンボル。右手首のでしゃばり=他者との関係性を取り扱うときに相手の皮膚感覚を無視してGETや利用を無意識にしやすい傾向を現す。左手首のでしゃばり=自分の前頭葉が自分の体との関係性を取り扱うときに、自分の体の声を無意識に無視して雑に乱暴に扱っている傾向を現す』

まさにBODY VOICEを聴き取れないのは、手首の硬さ、出しゃばりが原因である。手首は、慎みをもって相手や自分に「触れる」ために大事な関節。
この手首が硬いと、柔らかく筆のように「触れる」ことができずに「サワッて」しまうことになる。

触覚文明論では、人への触れ方で、文明の成熟度が決まる。戦争経済では、握る(サワル)動作で文明がつくられているゆえに、こんなにも、人に無関心で無知で偽善な社会になっているのだ。

手首を柔らかくたおやかに「触れる」ことのできる人体の扱いを日々意識していくことが、日常の身体との向き合い方である。
まずは、自分への触れ方が雑になっていないかを確認してみてほしい。自分の身体を「触れる」ことができないと、自分以外の「相手」に「触れる」ことはできないよね。

【お辞儀が土下座になっているは過剰自己犠牲のシンボル】

お辞儀するとき、地面と平行でピタッとに頭を下げるのが美しいお辞儀だが、
平行より下がっていると、それは過剰な自己犠牲、下から目線のシンボルだ。

【お辞儀が浅い礼になっているは自惚れお陰様感が薄め】

逆に、お辞儀が浅すぎる場合、上から目線である。

【肘と頭が連動しないお辞儀は気持ちと思考の不一致度合い】

美しいお辞儀は、日が沈むように頭を下げていき、
日が昇るように頭を上げるお辞儀である。
肘と頭を連動させ、一体感と礼節のある美しいお辞儀を、
日本人としては体得したいものだ。

【体育の顔造りすぎは内部内省酔っぱらい度合い】

最後に、顔の造りすぎは、内部内省酔っぱらいであると言っておこう。
過剰に、顔をつくりすぎる人は要注意だ。

下半身と上半身の姿勢を見てきたが、人体の自然は「上虚下実」が基本。下半身に重みを感じて、上半身は緩んでいる状態。
この「姿勢」を足裏から整えていくことで、淀みない美しい動作が可能となる。

あなたも、肩肘、みぞおち、顎のでしゃばり、手首の硬さ、そしてすべてを支える足裏感覚を修正し、昔のおサムライさんのような美しきお辞儀をマスターしてみよう。どんな分野でも一流といわれる人の所作は総じて美しい。そして、そんな所作の美しさは、文明の美しさにも繋がっていくのかもしれない。

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