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元祖「相対主義者」プロタゴラス VS「ギリシャ最強の論客」ソクラテス【哲学バトル】一回戦

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子供の頃から成績優秀、生徒会長もこなし、いつしか板についていた「優等生」キャラ。しかし、実のところはただの八方美人。そんなペルソナ=仮面を付けることで、自分の弱さを隠してきた。
もう自分のキモチをごまかしたくはない!肚の底から湧き出る感覚をもっと素直に表現していきたい!将来が保証されたエリートコースを辞退し、売れない作家見習いとしての道を歩みはじめる。小説を執筆しながら、当ブログでは、主に哲学などについて書いていく。

◎ ボディフィギュアタイプ
「猫背くるみ」の隠れ「いかり」型

長らくお待たせしましたァァアッッッ!

『真理』を求めた智のバトルッッ!
世紀の最強哲学ファイト!
『真理』の頂上決戦ッ!!歴代の哲学者まとめ【西洋哲学編】
オープニングφファイトを始めさせていただきますッッ!

 

赤コーナーより「プロタゴラス」先生の入場ですッッ!

遥か昔...紀元前の人々の価値基準といえば、
「神話」であった...
「理解の及ばないこと」といえば、すべて「神の仕業」。
目に見えない圧倒的存在が気紛れに起こす抗えない事象でこの世は形成されている。
口伝される「神話」は人々の絶対的な価値基準として存在していた…

その「神話」もいつしか形骸化され、その意味を忘れ、言葉だけが受け継がれていったのであった。
狩猟の時代。小さな集団、小さな群れ
点在するあらゆる組織で、先祖代々その小さな価値観・常識を引き継いでは受け渡していった。

時代は流れ、農耕の時代が到来する。
食料の備蓄、生き永らえる術を得た人類は、
その規模を大きくし、大きな集団・大きな群れが形成された。

組織が大きくなると自然と生まれるもの、それが他の組織との交流である。
始めは食べ物、生活用品、そして始まった価値観の交流。
そこで人々は気づいてしまう。

―「あれ、神話の内容が違う。」

雷一つとっても、

 

「天の神が悪魔を倒そうとハンマーを振るったのだ!」

 

「いやいや、天の神の腹の音だ!」

 

「いやいやいやいや、山の神が浮気して奥さんに怒鳴られたからだよ!」

 

「違う違う!おらの村ではそうじゃないッッ!」

絶対的な価値基準が揺らぎ始めた。
そして浮かび上がる疑念。

「あれ?神話ってウソなんじゃね?」

人々は困惑した。
今まで信じてきた絶対的な正しさ、善良さが覆ろうとしているッッ!

 

「人を殺しては絶対にいけないよ。どんな悪人でも」

と語り継がれた国の隣国では、

 

「復讐のための人殺しはむしろ正義である!悪者はどんどん殺せぃッッ!」

と多くの復讐劇が起こっている。

 

「人殺しとは…なんと野蛮な…」

「大切な人が殺されたのに…なんと不義理なことよ…」

「そんなことがあっていいのか!?」

お互いの価値観が揺さぶられる。
そして互いに沸き起こる

「何やってやがる!コイツ達!おかしいって!」

その動揺と困惑の最中、颯爽と現れた時代の寵児がいた。

そう、その漢こそ「プロタゴラス」である。

元祖「相対主義者」プロタゴラス

「神話」という絶対的な価値基準が崩壊する時代…

プロタゴラスはその時代の真理を一言でこう述べた。

 

「人間は万物の尺度である」

 

彼は説いた。
「善悪」や「美醜」といった概念なんて、人それぞれであり、
人間が自分の尺度=価値観で勝手に決めたものに過ぎない。

だから、

「これが正しい」「それは悪だ!」
「これは美しい!」「そんなのは醜い」
なんてほざいたところで、それらは所詮、

自分の尺度を他人に押し付けているだけ!

 

「絶対的な真理なんてない!ということだけが真理だ!」

 

それがプロタゴラスの真理である。

 

論戦不敗!?これぞ相対主義の影響力!!

相対主義。
人の価値観は人それぞれ。
なんとも便利な考え方であろう。

「絶対的な真理はコレだッッ!」

と言われると、「本当に?」と疑念も沸くが、

「人それぞれだよね~」

と言われれば、

そっちの方が柔軟で視野の広い説得力のある見方が出来ているような気がしてくるではないかッッ!

掴みどころのない、間違っているとは言えない、

のらりくらりと生き永らえる戦闘スタイル。

強いぞ!相対主義!

 

そしてやはり、
その最もらしい真理は多くの支持を集めたッッ!

そう、相対主義でうまいこと価値の基準をズラせば、
どんな主張でも相対化して、

「素晴らしい主張」にみせかけることが出来るのである!

また逆に

「素晴らしい主張」を相対化して「ヒドイ主張」に見せかけることもできた!

それは論戦において史上最強の議論テクニックとして用いられることとなる。

 

例えば、
「隣国の資材や人材をどうにかして略奪してやりたい」
という腹黒い本音も、

「先進国家たる我々が、隣国の民をも正し、導くのが大国としての務めではなかろうかッッ!?
人類の進歩のためには代償が必要だ!我らの血を流そうぞ!」

と涙ながらに訴えかければ、なんともまぁ、

「素晴らしい主張」のように聞こえてくるではないか。

逆もまた然りである。

「先進国家の務めだぁ?嘘つけ!!略奪したいだけだろぅぅ!」

と子蹴落とすことだってできる。

 

立場が変われば捉え方も変わる。
言葉それ自体に本心なんて映らない。
だからこそ、それぞれの尺度・価値観。
それこそが全てを決める。
本来あるべき姿などない!
真理とはそういうものだッッ!

そんなプロタゴラスの真理は、専ら政治の世界に利用されることになる。

さぁ、今の世を見てほしい。
相対主義は今もなお受け継がれている。

政治、思想、個性、
最近流行の個人主義、リバタリアニズム。
様々な形で。

時代を映した、そして今もなお引き継がれるこの真理。

しかし、本当に真理は人それぞれでしかないのか??
そんな有り様が本当に美しいのか??

 

その問いに挑む漢が現れるッッッ!!

 

青コーナーより「ソクラテス」先生の入場ですッッ!!

その時代、相対主義が跋扈した。
人それぞれ…
視野が広がったかのような最もらしい言動。
蔓延る個人主義、
それぞれがそれぞれに、自分の価値基準だけを追い求め始めた。

 

すると一つ大きな問題が生じた。

 

「堕落」

 

である。

絶対的なものなんてない、相対的なものしかない。
それを推し進めた結果、人々は分かり合うことをやめた。
相対が行き過ぎて、分離となり、
何も信じないという個人主義、その疑心が、
共通性・秩序を追い求めることを止めさせた。

真理を求める熱をどこかに置き忘れてしまった。

思考停止である。

その流れは愚衆政治として、時代に暗い影を落としていった…

「このままではいけない・・・」

その時一人の漢が立ち上がった!

その人物こそがソクラテスであるッッ!

 

ギリシャ最強の論客ソクラテス

自称「大きな馬にまとわりつく虻」

彼は、
「価値観なんて人それぞれさ」を合言葉に、
ホントウのことを追求しない世の中、
見せかけだけの言葉に満足している世の中が許せなかった。

そして、こんな世の中に鉄槌を下すべく、
相対主義を信奉する権力者、政治家たちを見かけては、
論戦ストリートファイトを挑んでいったのだった。

そんな彼のファイトスタイルは、

 

「バカのフリして質問攻め!!」

 

雄弁な論評を繰り広げる政治家を見つけては、
バカなふりして出ていき、

 

「今、正義って言ってたけど、正義ってなんですかぁ~??」

 

という具合に相手に質問を投げかけていった。
そして相手が、

「正義とは皆が幸せになるために戦うことだよ」

とでも返せば、

 

「じゃあ、幸せって何ですかぁ~??」

と質問を続けていく。

「○○って何なんですかぁ~??」

これを繰り返していけば、いつか相手は答えにつまる。

そこで、すかさず、

 

「答えられないってことは、あなたそれを知らないんですよねぇ~。

知らないのにこんなに語っていたんですね(笑)プププ」

と思い切りバカにするのである。

「質問連発とボロを出した瞬間の反論」

という必殺技で偉い政治家たちを次々と論破していったのである。
これまた必勝の討論スタイル!!

そんなソクラテスは当然のように政治家や権力者から、
ものの見事に嫌われた。

だがソクラテスはそうなることを百も承知である。
それ以上に伝えたかったことがある。

それがかの有名な

無知の知」

である。

 

無知の知

ここで重要なのは、ソクラテスは、
権力者を論破して悦に浸る訳でもなく、
いわゆる偉い知識人たちと違い、知ったかぶりをして、
「これが真理だ!!」
などと、自説を押しつけがましく語ったりしなかったということである。

それどころか彼は、
「あなたと同じように、私も真理など知りません」
自らの無知をさらけ出し
「だから一緒に真理について考えましょう」
と相手に語り掛けたのである。

つまるところ、彼はただただ、
「真理」が知りたかった。

そしてそれを知ろうともしない世界に対して反逆したかった。

彼がなぜ権力者や政治家たちの無知を暴き出そうとしたのかといえば、
それは彼が無知の自覚こそが、
真理への情熱を呼び起こすものだと考えていたからである。

当たり前の話であるが、
「知っている」と思っていれば「知りたい」と思うわけがない。
「知らない」「わからない」と思うからこそ
「知りたい」「学びたい」と人は願うのである。

だから、
「まずは自分が何も知らないと認める事から始めようよ!」
これがソクラテスが伝えたかったことであり、
「無知の知」の意図である。

実際ソクラテスの言う通りではないだろうか?
僕たちは普段、自らの無知を自覚することもなく、
まるで当たり前のように毎日を過ごしている。

当たり前のように633教育を受け、
当たり前のように大学に進学し、
当たり前のように会社に就職する。

親に言われた、先生に言われた、
そうやって言われたこと、教わったことを鵜呑みにし、
何の疑問も持たず、淡々と人生をこなしている。

そして延々としたルーティンのなか、
ほんのヒトトキの余暇をテレビやゲーム、スマホ片手に暇をつぶし、
余裕が出来れば旅行で見識を拡げたフリをする。

でも、その「当たり前」を成り立たせてくれる、
この「世界」について、
僕たちはいったい何を知っているというのだろう?
なぜ空間があり時間があり、
地球があり、宇宙があるのか?
そもそも宇宙なんて完全なる無であっても良かったはずなのに、
なぜ空間や物質なんてものができなければならなかったのか?
そしてなぜ人間という存在が生まれたのか・・・・

あなたはその問いに答えられるか?
知りたくはないか?
学びたいとは思わないのか!?
わからないことなんて山のようにある。

そんな謎だらけの世界を、その日常を、
わかったフリして当たり前にしていないか?
こんな未知を前にして、

「何か面白いことないかなぁ~」

などとほざいてはいないか?

学ぶことの多いこの人生に、君は真摯に向き合っているだろうか?

 

ソクラテス死刑宣告!

こうしたソクラテスの「無知の知」の問いかけが、最も響いた者は、
やはり「若者」たちであった。

「やっぱり人それぞれだよね」
「どんな生き方をしても正解はないんだから、熱くなっても仕方がないよ」
「そんなんじゃ、上手くいきられないよ」
そんな達観してるフリの無責任なオトナたちに、
違和感を覚え続けた若者たちの心震える様を想像して欲しい。

「まともなオトナにやっと出逢えたッッッ!」
「師と呼べる人をみつけたッッッ!」
そう思えたに違いない。

若者たちはこぞって彼の弟子入りを志願し、
ソクラテスは一躍時の人となったのである。

しかし、その状況を面白くないと思った輩がいる。

彼に恥をかかされた政治家たちである。

彼らは、ソクラテスを、
「若者を【堕落】させた罪」で裁判にかけ、
死刑宣告へと陥れる。

「堕落」させた罪で…

「堕落」

本当の堕落とは一体何だと思いますか?
その問いに民衆が答えられるのであれば、
ソクラテスが非業の死を遂げることはなかったのかもしれない…

 

要は自分も当事者なのである。
プロタゴラスは名声と富を得た。
(プロタゴラスの講義報酬は一回で軍艦が買えたとも言われる)
ソクラテスは名声と非業の死を遂げた。
その富も非業の死も、その時の人々の相対主義、風潮が生み出した結果である。
そして、その風潮を産み出したのは紛れもない。
その時代を構成する我々人類一人ひとりなのである。

堕落した一人のバタフライエフェクトが、
プロタゴラスに富を、
ソクラテスに非業の死を与えたということを、
僕らは自覚しなくてはならない。
そして、彼らの遺志はどちらもアナタの生きている現代においても脈々と生き続けている。
一度周りを見渡せば相対主義も秩序も両方あるのだ。
そして、もう一度言うが、僕もアナタもこの世界の状況の一部。
一人ひとりの決断が重なり続ければ、今度は逆の結果をもたらすことだって起こりうる。

そう、ただ一人の庶民であっても、僕らにも責任があることを忘れてはいけない。

 

一人一時空
しかし、すべては絡み合う。
分離された完全情報など本来ない。
回転し、共鳴し、影響し合っている。
だからこそ、あなたの決断で、その瞬間、
世界線は分岐する。
世界線は変わる。

 

受け継がれるソクラテスの遺志

また当時、ソクラテスの死刑執行にはかなりの期間、執行猶予が与えられ、
いつでも逃げられるような状況があったという。

政治家たちはソクラテスが惨めに逃げ出す様を民衆に見せつけて、
彼を笑いものにし、狡猾にもその学びの道を閉ざそうと、
嗾けたのかもしれない。

しかし、ソクラテスはその誘いに乗らなかった。
なぜなら、彼は死の恐怖を前にしても揺らぐことのない真理、

「ホントウとは何か?」

を追求する人間であったからだ。

もし自分の命が危ないからといって主張を撤回するのなら、
それはもはや真理とはいえない。

相対主義者と同じになってしまう。

そんなことはできない。
死んでもできない。

死んでもできなかったのである。

だからこそ、死ぬ必要がないとも見て取れる状況の中、
ソクラテスは泣いて懇願する弟子らを制し、
毒杯を飲み干し、真理を命懸けで貫いたのであった。

だがその時である!
まさにその瞬間、ソクラテスは大きな学びを多くの若者に与えたのである。

「自分の命よりも大事なものがこの世界にはある。
自分の命を捧げる価値がある真理というものがある。
そして人は命懸けで生きることができる。
人はそんな強い生き方を歩むことができる。
そんな道がある。」

多くの若者に憧憬の火と志が灯った。

ソクラテスはその道を自らの命を賭して守ったのである。
知ること、学ぶこと、真理の探究、その生き方、生き様
感じ合うこと、学び合うこと、教え合うこと、働き合うこと。
6D、カラビ=ヤウ。

その系譜は今でもなお、脈々と受け継がれている。
Dは負けたように見せて、受け継がれていくのである…

 

いざ、勝敗を決するときッッ!?

さて、哲学バトルは知の闘いッッ!

あー言えば、こう言えるが故に、勝敗が決められることはあまりない!

だけど今回は勝敗をつけてみるぞぅぅぅッッ!

でないと僕自身がただの相対主義者になりかねないからね(笑)

 

では、参りますッッ!

今回のバトルで勝敗のポイントとして、

「責任」

を挙げておこう。

 

相対主義は見方が変われば何が善で、何が悪かも変わる教えだったね。

一方向な独断と偏見に陥ることが無いので無難に多角的に見えてしまうけど、

結局は何が全体にとってダメだったのかを教える父性的視点が決定的に欠落しているッッ!

殊に、公共の善悪【美意識】に相対主義を持ち込むと、

どんな罪も本人が「善」であると思っているなら、

それは一理あるとその罪をチャラにすることに加担する意味合いになってしまうんだ。

こんな具合で、相対主義は全体最適において「一理ある病」にかかっていて、

一番傷つくことのない永世中立という無責任で、狡猾、卑怯な態度であり考え方だと言えるッッ!

果たしてそんなものが真理といえるのだろうか??

全体最適において視点が対立したなら、

どちらの善の提言の方が公正で多角的貢献かつ多様的尊重をしているかを、

吟味競争し、全体納得点に近い最善策を採用または抽出することこそが、

真理を目指す者の態度であり、哲人としての正しい競争であり、

叡智あるマスター同士の対話ともなるわけだ。

 

「そういう考えもありますよね~」

のただの見解の相違で済ます相対主義の教えは正当な議論、思考解析も停止し、

全体と部分における真善美の重なりの追求と改善を放棄している。

そして人々を生命の本質へと導くことの諦めと無関心をそそのかす悪魔的教えでもあるのだッッ!

 

つまり、

「同じ人間だもの感を分断し、無関心にさせていくものの見方」

全ての人間同士で共有できる秩序など何もないと狡猾に認めてしまう結果、

他者を巧妙に分離し排他させていく教えであり、教育なのだッッ!

一理あるよねと認めすぎると結果、どんどん力を合わせることも出来なくなるよ。

この考えを推し進めれば進めるほど、最終的には、

人類はどんな探求を続けても共通認識に至ることはないと逆説的に決めつけてることにもなるッッ!

そんな将来性のない孤立へといたる巧妙な迷信「無責任な教え」を、

真理と呼ぶわけにはいかないだろッッ!

そんなことが美しいと思うかい??

 

そういう意味でも、

無知の知を呼びかけ、共通認識・真理を探究しようとした、

そして命を懸けその遺志を残したソクラテスに軍配が上がると言えますッッ!

勝者 ギリシャ最強の論客 ソクラテス!!!

ウオォォォォォーーーーーーッッ!!!!!!!(大歓声)

 

ということでオープニングファイトを終了させていただきます。

 

次回!第2回戦は

美しく善く生きるか?自由気ままに生きるか?

「ギリシャ最強の論客」ソクラテス

VS

「背徳のリアリスト」カリクレス

 

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もう自分のキモチをごまかしたくはない!肚の底から湧き出る感覚をもっと素直に表現していきたい!将来が保証されたエリートコースを辞退し、売れない作家見習いとしての道を歩みはじめる。小説を執筆しながら、当ブログでは、主に哲学などについて書いていく。

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