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日本人ならもう一度受けたい授業 礼節の美学『OJIGIΦお辞儀の体育』

蘭丸
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日本人の文化といえば、礼節の文化である。

礼に始まり礼に終わる」という言葉あるように何事にも礼儀が大切であり、重んじている。

その象徴ともいえる美しい所作がある。

それがお辞儀である。

しかし現代では、お辞儀をする機会もなく、美しくお辞儀できる人はなかなかいない。

まさに失われてしまった身体文化である。

今回はそのお辞儀と、お辞儀からわかるあなたの観測状態を記していきたい。

礼節を持つということ

礼節は相手を尊重するということ。

つまり礼節を欠くということが何を指し示しているかというと、

それは相手の存在を無視していますということだ。

ここには衝撃の事実がもう一つ隠されている。

礼節を欠くということは結果的に自分自身を無視することにもなるということだ。

人は人によってしか存在理由を定義できない。

誰かになれることができるのに誰でもない状況をつくってしまっているというのが今の現状だ。

誰でもない状況をつくってしまった要因をこちらの記事をご覧ください。

明治時代までの日本では礼節をとても大切にしていた。

他者を尊重し、だからこそ自分自身が何者かを知れる。自分軸を立てることができていた。

昔の日本人の写真をみれば、凛としていて落ち着いたその姿に見惚れてしまうほどだ。

そして、礼節をわかりやすく型として落とし込まれた所作があることも忘れてはいけない。

そう、それがお辞儀。

お辞儀の意味

畳の上でお辞儀をする際、畳の縁は踏まなないようお辞儀をしなければならない。

それは相手の空間を尊重し、敬意を払い格式を重んじるためだ。

そして、その振舞い、所作から互いの実力を把握してもいたようだ。

実際、お辞儀の際の身体の各部位の状態をみるだけで、あなたの観測のクセまで見抜けてしまう。

今となっては、畳がフローリングに変わり、お辞儀をする機会すらなくなってしまった。

そんな現代だからこそ、実際に、正座して、美しいお辞儀ができるか?そしてあなたの観測状態がどうなっているか?をチェックしてみてほしい。

お辞儀が教えてくれるあなたの観測のクセ

手首の強張り

『お辞儀の手首のでしゃばりは、自分の体と他の身体の声の取扱の雑さのシンボル自惚れを牽制するための礼節

右手首のでしゃばり=他者との関係性を取り扱うときに相手の皮膚感覚を無視してGETや利用を無意識にしやすい傾向を現す。

左手首のでしゃばり=自分の前頭葉が自分の体との関係性を取り扱うときに、自分の体の声を無意識に無視して雑に乱暴に扱っている傾向を現す』

まさに身体の声(=BODY VOICE)を聴き取れないのは、手首の硬さ、出しゃばりが原因である。

手首は、慎みをもって相手や自分に「触れる」ために大事な関節。

この手首が硬いと、柔らかく筆のように「触れる」ことができずに「サワッて」しまうことになる。

まさに「気に障(さわ)る」こととなる。

人への触れ方で、その人の成熟度がわかるし、ともすれば、文明の成熟度まで決まる(=触覚文明論)。

現代の戦争経済では、握る(サワル)動作で文明がつくられているゆえに、こんなにも、人に無関心で無知で偽善な社会になっているのだ。

手首を柔らかくたおやかに「触れる」ことのできる人体の扱いを日々意識していくことが、日常の身体との向き合い方である。

まずは、自分への触れ方が雑になっていないかを確認してみてほしい。

自分の身体を「触れる」ことができないと、自分以外の「相手」に「触れる」ことはできないよね。

【お辞儀が土下座になっているは過剰自己犠牲のシンボル】

お辞儀するとき、地面と平行でピタッとに頭を下げるのが美しいお辞儀だが、平行より下がっていると、それは過剰な自己犠牲、下から目線のシンボルだ。

【お辞儀が浅い礼になっているは自惚れお陰様感が薄め】

逆に、お辞儀が浅すぎる場合、上から目線である。

【肘と頭が連動しないお辞儀は気持ちと思考の不一致度合い】

美しいお辞儀は、日が沈むように頭を下げていき、日が昇るように頭を上げるお辞儀である。

 

【なぜお辞儀は下げることから始まるのか】

いかがだっただろうか。

お辞儀は頭を上げることからではなく下げることから始まる。そこにも意図があったんだ。

一見、相手をじ〜っと見ていた方が礼を尽くしている気がする。

しかしそうではなく、なぜ相手の目を反らすということが礼節になるのか。

それは、伏せるという行為の中には下のものを見るということを表しているんだ。

つまり、常にあなたより下のものがあることを忘れないようにしなさいということ。

私達は常に土とか水とかあらゆるものに支えられて息をしている。

そして、下を見てみるともっと悲惨な叶死見がある。

ついつい私達は足元ではなく上を見ようとしてしまう。

なのでお辞儀をすることによって、足元には常に支えられていたことがあったと自覚することができるんだ。

そして身が引き締まり志が立つようになる。

つまり、お辞儀という型でし、その廻っている背景(歴史)を感じながら同時にこれから生み出されようとしているものを全身の肌触りで堪能していくことが礼節である。

なので、その場だけ頭を下げてお辞儀をしている限り礼は尽くせていないんだ。

ただお辞儀をするのか、堪能しながらお辞儀をするのかで、同じお辞儀をしていても全く違ったものになってしまうんだ。

日本人としては一体感と礼節のある美しいお辞儀を、体得したいものだ。

日本人の美しい所作「お辞儀」を、そして下腹重心を学びたい方はコチラ!
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