美しき悲しみの星

苦行って何!?『空海』の天才エピソードから学ぶ「自己実現が空しい理由」

 
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マジ卍ーーーーッ!!!!
日本は空前の卍ブーム・・・ その裏で日本地図からしれっと消えようとしている卍の陰謀!知られざる「卍の謎」を探求し世に伝えていくという使命に燃えているなかで宇宙海賊団と出会った。謎の兄弟ユーチューバー!!!

◎ ボディフィギュアタイプ
さわまんじ(兄):「なでくるみ」型
なかまんじ(弟):「なでりフジポ猫春」の隠れ「洋ナシ」型
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コンビニよりもお寺が多い国、日本。この仏教社会の中でひときわ異彩を放つカリスマがいる。空海だ!

この男、タダ者じゃない。

たとえば空海の開いた「真言宗」。実は仏教でありながら仏教じゃない。もはやオリジナルの宗教と呼んでもいいくらい、ほとんど釈迦の教えとは関係のない内容なのだ。

しかし空海のカリスマ性はそんな矛盾も吹き飛ばすくらい、とんでもないものだった。

今回は、そんな仏教界のスーパースター・空海の反逆的な生き様に迫ってみる!

と同時に、空海が落っこちた「苦行」という落とし穴について紹介しよう!

ここには仏教マニアだけじゃない、個人主義的な「ひとりでいきれるもん!」な自己実現したい現代人がハマりがちな『超人願望の罠』が隠されていた。

コレを読んでいるあなたも無関係ではないかもしれない。なぜならこの穴、まじブラックホール並みにヤバいんで!

仏教界のスーパースター・空海

この男、最先端オシャレ坊主だった!

空海は平安時代に活躍した仏教のお坊さんだ。しかし、21世紀の現代でもやたらと人気がある。

そもそも「空海」という名前がカッコよすぎるでしょ!という見解もあるが、人気の理由はそれだけじゃない。

空海が仏教界のスーパースターになった理由はズバリ、最先端なことをしまくるオシャレ坊主だったからだ。

  • 橋を作ったり、学校を設立したり、公共事業に精を出すビジネスマンだった
  • 最先端宗教「密教」を日本に持ち込んだパイオニアだった
  • まぶしすぎだろ!仏教なのに、豪華すぎだろ!キンピカのお寺立てちゃった
  • まじあの世とか意味ねえよ!現世利益を追求しためっちゃ合理主義者だった
  • 圧倒的スケールの世界観、「大日如来」というオリジナル設定を作り上げた
  • サンスクリット語までペラペラの語学習得力は、まさに努力の天才だった

などなど。仏教という枠組みをピョンっと飛び越えてしまう革命的な行動の数々。この超実績のオンパレードが、空海がスーパースターに祭り上げられる理由だろう。

たしかに憧れるのも無理はない。彼はカラフルな袈裟を身にまとい、斬新な手法をドンドンと取り込んで、ジジ臭い仏教界へ殴り込んでいった反逆のカリスマ。 めっちゃエネルギッシュに人生を駆け抜けた超人だった。

しかし、この『超人』という強みが、一転して空海を「苦行」という穴に落っことした。

どうして空海は「苦行」にハマったのか? そこには「己が強くなりたい!」という、現代人まで引き続がれる根ぶか~い個人主義的な「自己実現欲求」、そしてそれをそそのかされた人間が陥る『超人願望の罠』がひそんでいる。

苦行にはそういった現世利益を満たすような情報を引き出すカラクリがある。マジで良い子は真似しちゃダメぜったい!なこの穴に、空海はどっぷり漬かっていった。

そのことを紐解いて理解するには、空海が日本に持ち込んだ「中華密教」という厄介な代物、コイツを理解すれば一発だ!

では、ちょいと空海の仏教人生をダイジェストで見てみよう。 (読むのが面倒な人は飛ばしてOKだ!)

空海人生物語

空海青年、中国へいく

空海は774年、讃岐国(今の香川県)生まれ。本名は佐伯眞魚(さえきのまお)。18歳で上京し、官僚を目指してガリガリ勉強していたエリート青年だった。

しかし、頭の良すぎた彼は、世間に敷かれたレールを歩く自分の人生に疑問を抱く。そして20歳の時、当時すでに盛んだった仏教の世界に魅了され、エリートコースから一転して仏教界へ進む決心をした。

こうして空海としての人生がはじまる。

転機が訪れたのは30歳の時。遣唐使として唐(今の中国)に行くという大チャンスが巡ってきた。

「唐に行けば、ほんまもんの仏教が学べるんや!」

さらなる仏教の研究と猛勉強にガッツリ励むべく、空海は海を渡った。そしてそこで、彼は後の人生を決定づけるような運命的な出会いをする。それが、中華密教の僧・恵果(ケイカ)への弟子入りだ。

唐に渡った時点で、空海の仏教の理解はすでにずば抜けていた。 彼には物事の本質を見抜くセンスが宿っていた。そんな才能に恵まれた男にとって、唐のエリート坊主達の世俗的な儒学思想は、ひどく退屈だったみたいだ。

「こんなことを学びに、命がけで唐へ来たわけじゃない!」

そこへ現れたのが、当時最先端の宗教『中華密教』の僧・恵果(ケイカ)だった。 彼は中華密教の教えに衝撃を受け、弟子入り。そのまま密教の世界観をどっぷり吸収して、帰国。

ここから、空海反逆の物語がはじまる・・・!

2年間の仏教修行を終えて帰国した空海。すっかり中華密教をマスターして帰ってきた彼は、当時こう言っている。

「虚しく生きて満ちて帰る」

現代風に分かりやすく言えば

「何も知らずに中国行ってきたけど、マジめっちゃ叡智勉強して得るもの得てきちゃったポヨ」

てな感じだ。

その発言通り、空海は出世コースを爆走することになる。

空海最大の武器「中華密教」

たしかに、空海はめっちゃ勉強してきた。それも仏教や宗教の勉強だけじゃなく、薬学や土木工事まで習得して帰ってきた。たった2年で、だ。

現代に例えるなら、留学先で医学部と神学部と建築学部の学位を飛び級しまくっていっぺんに取ってきたようなもん。ありえない。そりゃもう超人的な努力をしたに違いない。

その経験を活かし、空海は橋を作ったり、川の治水工事を成功させたり

「え!?お坊さんってそんなことまでやってくれんの!?」

ってな感じで一気に人気者になってしまった!つまり、政治力に長けていたんだね。

そして当時のエリート坊主達をごぼう抜きし、とうとう天皇の信頼まで勝ち取ってしまったというわけ!この成り上がりサクセスストーリーが、空海物語の人気の理由なんだね。

嵯峨天皇 「YOU、なんかすげえじゃん。この山やるから、もっと修行しちゃいなよ!」

てな感じで高野山もGETし、 そこに開いたのが『真言宗』だ。

しかしこの「真言宗」の内容、なんと本場の原始仏教・釈迦の教えとはほとんど関係のない「中華密教」をベースに、さらに独自のアレンジを加えた、もはや空海オリジナルの宗教世界なのだ!

つまり彼は宗教を創作した。

なぜそんなことをしたのか?それは彼がムカついていたからだ。

反逆のカリスマが落ちたワナ

当時の日本の仏教はジジ臭かった。若くて才気あふれる空海は、頭でっかちな『南都六宗』や、浄土とかいうVR世界を広告する『浄土教』が、つまらなくて仕方がない。

「オレが新たな時代切り拓いたるねん!やったるわあああ!」

エリート坊主たちを目の上のたんこぶに感じた空海は、この固定化された古臭い仏教社会に風穴を開けるための革命的なアイデアを画策した。そうして生まれたのが「仏教」と「中華密教」と「空海オリジナルの世界観」をミックスした『真言宗』だ!

当時の『真言宗』の特徴、それは『現世利益』を肯定しまくるところにあった!

盲目的に質素に暮らすことも、あの世を信じてお経を唱えることも突っぱねた。

黄金の仏像を立て、マントラを唱え、明るい袈裟を着て、きらびやかな世界観を宣伝しまくった。

この戦略は見事成功。

空海の開いた『真言宗』は、いまだに修行の場として現代にも受け継がれている。

え?修行?

あれ?もしかしてこれって・・・?

 

苦行じゃん!!!???

仏教と苦行の意外な関係

釈迦、苦行やめたってよ

そう、空海の創った『真言宗』は「現世利益」推しだったと同時に「苦行」推しでもあった。

繰り返し唱えるマントラや、火の前で座る護摩行、寒中の池の中でお経を唱える等の荒行の数々を、ネットやTVでご覧になったことのある方も多いのでは?そしてそれを仏教徒のあたりまえの姿として受け止めているのではないでしょうか?

残念っ!!!!

それはお釈迦さまの説いた悟りの教えとは関係のない、バラモン的な古いスタイルの修行法。むしろ「そこじゃねえよ」とお釈迦さまが突っぱね否定した修行法、それが「苦行」なのである。

釈迦が菩提樹の下で悟ったこと、それは「縁起の法」だと伝えられている。

いわゆる『空』ってやつだね。

「色即是空 空即是色」なんて言葉が有名だけど、まあ要するに

「この世は色んなものがもちつもたれつで連係して成り立ってるんだわ!」

ということ。そのことに気づけたキッカケは、町娘スジャータとの出会いだった。

それまでは釈迦も、バラモン的な苦行に明け暮れていた。そして死にかけていた。

そこへ通りかかったスジャータに助けられ、彼は気づいたのである。

「あっ、ひとりで生きてねえわ。勘違いだったポヨ。」

こうして生まれたのが仏教である。

「ひとりで生きてねえから、そのことに気づけ。んで、あんま悩まず、ちゃんと人と働け。」

という教え。

それまでは釈迦も、自分ひとりで答えを探そうとする『超人願望の罠』にハマっていたんだね。安易に「自己実現」を目指しちゃう現代人とそれほど変わらないともいえる。

でも、スジャータと出会い、助けられた。

そして釈迦は、他者に「会う」ということが自分が求めていた生き方であることを悟った。そこへ至るには「自己実現」や「超人願望」は余計だったんだ。

あの世や極楽浄土やお墓やお経も、ぜんぶ否定しためちゃくちゃシンプルな教え。それが釈迦が広めた教えの内容だった。

だから後に教団として大きくなった「仏教」というものがそもそも、釈迦の教えとはズレて存在しているという教養を、ぜひともバッチリ押さえてくれ!少なくとも、お釈迦さまはお墓を買えよ!とは言ってない!!のである。

髪型も坊主ではなくロン毛だったということを、付け加えておこう。

では、空海はそのことを知らなかったのか?いや、そんなことはないだろう。なんせ彼はとてつもなくインテリだ。釈迦の説いた『空』の概念も、かなりいい線まで理解していたはず。

それでも「苦行」の穴にハマってしまった。お釈迦様の教えからは逸脱してゆくことを知りながら・・・!

空海さんってスピってない?

晩年の空海は、ぶっちゃけスピってたと言わざるをえない。

「苦行」は密教的なシャーマニズムにありがちな手法である。カラダに意図的に負荷をかけ、脳内物質を引き出すことで人間の脳は変性意識に入る。そうすると、普段は認知できない集合無意識にアクセスできることを、20世紀の科学者はすでに突き止めている。ユングの無意識についての研究などがそれにあたる。

空海が創り上げた真言宗は、釈迦の縁起の法を無視した「苦行」を重視している。しかし、あれほどまでに合理主義的な空海が、なんの意味もない「苦行」をわざわざ自分の宗派の中心にとり入れたりするだろうか?

そんなわけがない!「苦行」にはそれなりにメリットがあることを空海は知っていたのだ。

要は、ヨガで気持ちよくなることのもっと発展版をやっていた。そうすることで集合無意識『亜空間知能』にアクセスし、それなりに情報を引き出せる仕組みがこの人体には備わっている。だからって良い子は真似しちゃダメ!ぜったい!とお釈迦さまも言っていた。

しかし、この「苦行」をとり入れ発展していた宗教が、何を隠そう空海がどっぷり漬かったあの「中華密教」だったのだ。

空海がたぐいまれな才能に恵まれていたことは間違いない。現代にも通用する斬新な発想と行動力はスーパースターにふさわしい。まさに超人だ。

しかし、超人すぎたのである。

他の追随を許さないほどの才能を持っていたがゆえに

「ひとりでなんでもできそう、むしろそうありたい!」

という『超人願望の罠』に知らず知らずのうちにハマっていってしまった。

特に修行に明け暮れていた晩年は、亜空間知能の力を借りてどんどん「凄くなっていく自分」に酔いしれ、「苦行」の穴から抜け出せなくなってしまった感が強い。

まさにダークフォースに堕ちてダース・ベーダーと化したアナキンのように。「自己実現欲求」の成れの果て、だね。

空海にとっては、仏教も密教も、自分の理想を叶えるためのツールにすぎなかった。彼は「密教的苦行」や「亜空間知能」すらも道具として利用した。己の理想の実現へ向かって、自らの危険をかえりみず進む。

それくらい破天荒な男だったから、彼はカリスマになれたのだ。

しかし最後の最後で罠にハマった。

ツールとして利用していたに過ぎない亜空間知能に逆ハックされ、亜空間知能のとりこ、ミイラ取りがミイラになってしまったのだ!

「自分ひとりで生きれるもん!!」

縁起の法とは逆方向めがけ、まっしぐらに進んでいく合理主義者の天才・空海の姿が、まぶたに浮かぶのである。

なめたらアカン『個人主義』の怖さ

空海の「苦行」推しがたたってハマり込んだ『超人願望の罠』。

それは

「ひとりで生きれるもん!」

の思い込み。

でもこれって、何も修行僧や仏教マニアだけのお話じゃない。この『超人願望の罠』は、個人主義の現代人があたりまえにハマってしまっている罠である。安易な自己実現や、成功哲学に飛びついてしまった経験のある人は、要注意だ!

一見、それでうまくいっているように見えても、時間の幅を広げてみたら「ずっとひとりぼっちだった」ということに気づく。

お釈迦さまは菩提樹の下でスジャータとの邂逅によりそのことに気づいた。そして「苦行」を捨てた。

いつまでも過剰な自己実現欲求を追い求めることは、『超人願望の罠』にハマってしまい抜けられなくなるからだ。

自己実現を追いかけ続けた先には、「ほんとうは誰にも会えてなどいなかった」という悲劇が待っている。そのことを、空海の人生物語から現代人は学ばなくてはいけないのではないだろうか。

その「自己実現」の先に、ほんとうに人はいるのか。会いたかった人はいるのか。

人間が生きることは、超人になることが目的なのか?

お釈迦さま「天上天下唯我独尊」

2500年前、お釈迦さまは言った。

「天上天下唯我独尊」と。

一見この言葉も、超人願望のように聞こえる。「天の上にも下にも、我がただひとり」という意味だからだ。しかし、それは「ひとりで生きれるもん!」の自己実現せよ、という意味ではない。

「ほんとうに人間として生きることを知ったよ」という意味なのだ。

つまり

「人間やれよ!って言われてるの分かりました!」

という意味なのだ。このことは、テクノロジーが発達した現代ではめちゃくちゃ生々しく響く。

今、かつて人間がやっていた職業が急速に機械に置き換わっている。あと数十年のうちに大半の仕事が機械化されるだろう。

その時に人間は問われる。人間らしい生き方ってなんなのか?機械では生み出せないものを、そのカラダから生み出せているか?その知性も感性も感情も、もしかして機械以下なんじゃないのか?時代はあなたのカラダに問うてくるだろう。

その問いにパッと答えられなかった時の末路は恐ろしい。だから「人間やれよ!」の意味は深い。そしてそれは「そのカラダを生きろよ!」ということと同意義なんだということを最後に伝えたい。

人間と機械のちがい、それはカラダだ。100兆円あっても買えないこのカラダである。そのカラダを通じてしか、人に会う手段はない。カラダは道具ではない。ただの乗り物でもない。あなたはカラダだ。

だから「苦行」なんてやっているヒマは、現代にはない。現に多くの人が「自己実現」を目指してフィットネスに通い、資格試験や道具の開発に膨大な時間と労力をかけている世界に私たちは暮らしている。そして、その結果どういう世界になっているのか?を誰もが痛いほど知っているはずだ。

これが人の住む世界なのか?2500年前にお釈迦さまもインドのお城から、困窮する民の暮らしぶりを見てそう思ったはずだ。悩み、自問自答の果てに、「苦行」を否定し、「空」の教えを残した。

なぜお釈迦さまがいつも座禅のポーズをしているのか?あれは苦行ではなく、カラダの教育を描いているのだ。

苦行と教育は違う。人体を痛めつけることをやめ、人と会うという生き方を実現させてくれる人体を賛美すること。それがお釈迦さまの残した教育だったのだ。

このカラダを学ぶことは、自己実現を目指すことじゃない。超人になることでもない。ロン毛のお釈迦さまの、明晰な叱咤激励がそこにある。天才・空海も、もしお釈迦さまに会えていたら、「苦行」に走らず済んだかもしれない。

「自己実現」じゃない、関係性の中で生まれてくるカラダを教えてくれる師にめぐり合うことがどこまでも大切だということを、空海物語からひしひしと感じる。

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