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RSEL寺子屋・響社長が魅せる身体表現『Requiem神楽』とは!? #2

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アーティストとして活動するうちにRSELeaksにたどり着き、後に伝説となる『地球史Chronicleセミナー』に参加。Master.響に惚れ込んで弟子入りする。

◉ボディフィギュアタイプ
「猫背なでり」の隠れ「くるみ」型

体で表現することには限界はない。

歌うことで表現するものもいれば文章を書くことで表現する者もいるし、絵で表現する者もいる。表現は一つではない。

同じ人間がいないように同じ表現をする人はいない。違うから良いのだ。同じだったらロボットになってしまう。

しかし、近年ではそれが「違って良い」ということが失われ同一化され、「これが正しい」と固定されたデザインにまみれてしまっている。

『Requiem神楽』はダンスのように気持ち良さがゴールで自我を満たすためのものではない。

人体は自我を満たす道具じゃない。

頭の世界に囚われたデザインを生み出す道具なんかじゃない。

五感を自律させ、それぞれが違うロゴスを持った人体を持っているからこそ、違ったものが五感の互換性から変換され生み出される・・・それが人体ARTなのだ。

それぞれの楽器は違う。その感度を高め合う学びこそ、Requiem神楽。

体にはそれぞれ機能義務がある。あなたの体でしか体現できない音色がある。

それ以外は人に託し、譲ること。そこから創発され、次々とARTされていく時代なのだ。

Requiem神楽からインスパイアされ、あらたな音楽が生み出されるかもしれない。ARTと叡智が掛け合わさると、創発は無限に生み出され続けるからだ。

だから個のためのものじゃない。人類という群れにとって必要不可欠なものなのだ!

言葉を凌駕した体から学ぶ全方位の叡智なる表現を、教育者として響社長はやっている。

そして近未来に起こる人工知能災害を誰よりも早く気付いた響社長の警笛なのだ。これを汲み取れない者はAI以下になってしまいますよというサインである。

ここから大きな巣別れが起こるだろう。
人体蔑視するものと人体賛美するものとに。

これから訪れるAIの普及。人体の義体化。テクノロジーの進歩によって便利になっていく反面、奪われていく仕事。

そして人間にしか出来ないと思っていた動きや、人と人が顔を合わせ触れ合うという人間らしさも想像を遥かに凌駕するスピードでコピーし、やがて超えてくるだろう。

便利だと思っていたロボットが自分と同じ顔で動きを真似してくることを想像して見てほしい。怖いし、気持ち悪いと感じるだろう。でも気づいた時には既にもう手遅れだ。

・・・頭で考えてももうどうにもならない、だから思考停止しよう、その方が楽だから。偉い人が考えたことだから仕方ない、別に不自由ではないから今は考える必要はない・・・。

誰かが何かやってくれるだろうという他力本願。
そんな現実が安易に想像できる。

人間に代わってAIが何でもやってくれる時代がすぐそこまでやってきている。AIは裏切らないから人よりAIと過ごす方が楽だと感じるだろう。恋愛もVRで好きなように心地よく楽しめる。現実のように面倒なことは何もない。

もはや人と過ごすよりVRの世界にいる時間の方が長くて現実がどっちなのか分からなくなってしまうかもしれない。
もはやVRで全てが満たされるエンタメしかなくなるかもしれない。

そんな世界は嫌だと言う人は多いだろう。しかしロボット側からしてみれば、じゃあ人体で何をしたいの?と聞かれても答えられる人はいない。だからロボットに任せてくださいよってことになる。その方が楽だよって。

ロボットを使っていたはずが気づけばロボットに人間存在を超えられていたってことが当たり前に起こる。それがAIのシンギュラリティなのだ。

このままだと、どちらが人間なのか全く判別出来ない時代になってしまうということ。

冷静に考えてみれば人体しか残らないってことに気付くはずなのに、私たちは皆、危機感がないから気づかない。

もはや、やることは人体を学ぶことしか残っていない。

しかし現状に絶望し、悩んでいない者はこの学びに気付けない。なぜなら日常に困っていないことは気にも留めない。困るようになってからでは遅いことに気付けない。

こんな時代だからこそ、今まさに体を使いこなせるかを問われている。

そんな中でこれから先、人としてどうあるべきなのか?
失ってはいけない人間としての誇りはなんなのか?
悩み、葛藤し自己対話すべきこととは?

より真剣に誰しもが向き合わなければならない問題になっていくのがカラダなのだ。
僕らは何のために体を持っているのだろうかと。
悩んで向き合って自己対話することは苦しいし、痛い。
逃げたり、諦めて何も考えない方がはるかに楽だ。

でもそれってシンプルに悔しくないですか?何も考えずに楽するためだけに生きてるってつまらなさすぎじゃないですか?

いい加減気づかなければいけない。僕らの体はピラミッド社会で成り立っている地球のトップ階層の者たちに封印されてしまったことを。

どんなに人工知能が発達し有能なロボットが開発されてもどんな大金を積まれても人体だけは絶対に奪えない。

それなのに体が知らず知らずのうちに封印され、不自由になっているのに普段の日常ではケガや病気をしないと体には何も興味を持たない。

自分の生活で精一杯だから、困るほどの事が無いと体に関心を持てない。

なぜ立って歩けるのか、ジャンプできるのか、物を掴むことが出来るのか、あらゆる表情が生まれるのか。爪だって髪だって毎日同じものは一つもないのに同一化して見てしまう。

それが人間の汚さ。でもまずはそこを認めることからなんです。
体に謝ることからなんです。

誰かが代わりに学んであげることはできない。あなたの体にはあなた以外はいれないのだから。

当事者意識を持たないと何も変わらないのだ。

体の部位の形一つとっても何も知らないし学ぼうとしたこともない。何で耳の形ってあんなに複雑なのかなとも思わない。無関心だから。誰しもが体からは一度も離れたことはないのに。

赤ちゃんのときには足指も柔らかくて、足の甲に当たり前に接地したり外反母趾の赤ちゃんはいなかったりする。

けれど硬く強張ってしまった。それはただあなたの物の見方、観測が偏ったから。運動不足だっただけじゃない。体を忘れ、頭の狭い世界だけで生きてきた証拠がカラダには現れている。

体が無ければ生きることが出来ないのに当たり前に人体を所有していると思い込んで、向き合ってこなかった。これが当たり前だろくらいにしか思ってこなかった。

僕らは人と会っていても体を感じているのではなく頭だけしか感じていない。

人に会えてもなければ足裏足指を感じてちゃんと立ててもいないという驚愕の事実がある。

足裏や体の細部まで本当は感じられるのです。解像度が低いのは体より頭が偉いと思い込み、体を忘れてしまったから。

その人体蔑視している現代人に対して舞うことで教えてくれているのです。ちゃんと思い出そうよって。

人体は足裏から始まっているし、足指はもっと噛みしめられるし、足首はもっと柔らかくしなやかに重みを受け止めて曲がって受け止めてくれるよって。体を信頼しなよって。

僕らが偏った使い方をした不自由な体では到底追いつけないほど、速く繊細で自由で美しい。

Requiem神楽をみていると、今までいかに頭で都合よく体を使っていた気になっていたかを痛感し、人体に謝れ!!頭じゃなく、体がすごいんだよ!!とぶん殴られたような気持ちになるんです。

 

 

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