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日本でハロウィンが大流行した本当の理由。

 
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日本から失われた雅やかな美的感性が、脳ではなく身体感覚=肚文化と深い繋がりにある事を学び、「ボディフィギュア理論」「下腹重心論」等の身体科学研究者Master.Kのもとへ師事。また研究所の広報、編集も担う。

◉ ボディフィギュアタイプ
「いかり春日」の隠れ「ポッキー」型



ID @sekirintaro

ここ数年、なぜか異様なほどの盛り上がりを見せている日本のハロウィン。
その経済効果はバレンタインデーの1300億円を超えようかという勢いで、すっかり秋のイベントとして定着した。

渋谷なんかはもうこんな感じ。コレ、土じゃないよ、人だよ。もう「ウォーリーを探せ」超えとるな。

・・・あ!!

 

いた。ウォーリー。

 

そんな日本のハロウィンブームに対して疑問視する声も・・・

「本来の意味や歴史的背景を無視して、勝手に騒いでるだけじゃん。」

「仮装する衣装も何でもありで、もはやハロウィン関係ないやろ。」

「こどもたちじゃなくて、大人のためのイベントになってしまってるね。」

「楽しむのはいいんだけど、ゴミを散らかしたり、マナー違反が目立つのはどうかと思う。」

確かに、もはやただのコスプレパーティと化してるのは否めないけど。法律やマナーさえ守れば、楽しんで何が悪いんだという意見も多いようだ。まぁ、今後もこのブームはしばらく続くと思うので、肯定派も否定派も「そもそもハロウィンって何なのか」くらいは一般教養として知っておいたほうがいいだろう。手短かにまとめてみたよ。

ハロウィンの起源とは。

その歴史はめちゃくちゃ長くて、紀元前にまでさかのぼる。その発祥はケルト、現在でいうアイルランドやスコットランドあたりだ。古代ケルトでは11月1日が1年のはじまり。年の暮れに「たくさん農作物が収穫できますよーに♪」ってお祈りするお祭りとして行われてたんだって。あと、この日は死後の世界からご先祖様の霊が帰ってくるのをお迎えする宗教的な意味もあったとか。(ドルイド信仰)

つまり、今でいうところの「大晦日」と「お盆」が合体した秋の収穫祭りって感じだね。

仮装する理由。

ハロウィンのこの日は霊界の扉が開くので、ご先祖の霊だけじゃなく、悪霊たちまでこっちの世界にやってきちゃうかもしれない。そう考えたケルト人たちは、自分たちも悪霊の姿に変装することで身を守ろうとしたという。ハロウィンのトレードマークでもあるカボチャのランプ(ジャック・オ・ランタン)も魔よけ道具であり、元々はカボチャじゃなくて「カブ」が使われていたという。

「Trick or Treat!」(美味しいものくれないとイタズラしちゃうぞー!)

それから時は経ち、アメリカにハロウィン文化が持ち込まれるのは19世紀に入ってからだ。1950年代にホラー映画が大流行したことも重なり、フランケンシュタインやドラキュラなど様々なモンスターの変装が加わって仮装バリエーションも増えていった。そして、こどもがオバケの格好をして近所をまわりお菓子をねだる、いわゆる「トリック・オア・トリート」の風習がはじまり、大衆イベントとして浸透。ちなみにジャック・オ・ランタンが、カブではなくカボチャに変わっていった理由は、アメリカではカボチャのほうが手に入りやすかったらからだとか。

そして1970年代、日本へと伝わってきたハロウィンは、大人たちのコスプレ祭りへと進化(?)したのだ。

 

日本でハロウィンが大流行した2つの理由

①企業の商業的マーケティング戦略

日本で最初にハロウィンイベントを仕掛けたのは、子供向けのおもちゃなどを販売しているキディランド。1983年には日本初のハロウィンパレードを行い、ハロウィン関連グッズで大成功した。
1997年には、ディズニーランドも負けじと「ディズニー・ハッピー・ハロウィーン」なるイベントを開始。同年、川崎市の「カワサキ・ハロウィン・パレード」も始まり、ハロウィン旋風が巻き起こる。メディアもこれを大きく取り上げ、ハロウィンの認知度は一気に広がっていったのだ。バレンタインやクリスマスも同じように、こうした企業のマーケティング戦略とメディアの影響によって大衆化されていった背景がある。

とはいえ、近年の盛り上がりっぷりはちょっと異常なほど。なぜ、日本人はこんなにもハロウィンに“ハマった”のだろう?バレンタインにも、クリスマスにもない、ハロウィンが人々を魅了してやまない理由。

それが・・・「仮装」だ。

②潜在的なコスプレ願望

いい年齢をした大人になれば、なかなか堂々とコスプレしたいとは言えない。ましてや、そんな格好で街を歩くなんて・・・。しかし、ハロウィンの夜だけは一般人が堂々と仮装することが許される日となった。この潜在的な欲求が大きなエネルギーとなり、インスタなどSNSの力も手伝い爆発したのが、日本ハロウィンブームの正体。事実、こどもたちがお菓子をもらう「トリック・オア・トリート」の部分は全くといっていいほど根付いていない。

なぜ、大人たちはこんなにも仮装したいのだろうか。

何者にもなれなかった者たちの変身願望。

子供の頃、大好きだった憧れの存在たち。かっこよくて、可愛くて、やることなすことドラマティックで・・・テレビの中の彼らを羨望の眼差しで見つめ、必死にマネした「幼いキオク」は誰にでもあるだろう。そして、きっと自分の未来にも、そんな大きな可能性が広がっていると信じていた。何にだってなれるような気すらしていた幼年期。

しかし、年齢を重ねるにつれて浮き彫りになる現実とは、たいていアニメやドラマの世界とは程遠いものだ。劇的な運命や、特別な才能が天から降ってくるわけでもない。学歴、運動神経、ファッションセンスもルックスも、どれもごくごくフツー、どこにでもある日常が続いていく。

「君には無限の可能性があるんだよ。」と言わんばかりの笑顔で、将来の夢とやらを聞いてきた周りの大人たちは、いつの間にか夢よりも現実に目を向けるべきだと説きはじめる。釈然としないまま何となく進学して、就職活動、そして社会に出て数年もすれば次第に受け入れられるようになる・・・スペシャル(特別)な存在に憧れながらも、現実はどこにでもいるその他大勢の一人としてのジブン。無色透明なマス(大衆)とすっかり同化した、代替可能なジブン。

しょうがないだろう「こどもの頃からの夢」を叶る人なんて、一握り。誰もが、イチローのように、安室奈美恵のように、ジョブズのように・・唯一無二の才能を開花させて、スポットライトを浴びるわけじゃない。別に、普通の人生も悪くはないさ。それなりに恋をして、家族を持って、そこそこの出世をしてマイホームを買う・・・そんな些細な幸せを噛みしめる生き方もあるんだと、ワケ知り顔で後輩に話せるような「常識ある大人」になった今も、心の片隅には憧れのヒーローたちの姿がのぞくことがあるかもしれない。

そう、本当は憧れていたッ!

強くて、カッコよくてッ!!

ロマンティックな人生にッ!!!!

せめて、せめて今宵だけはッ!!

「何者にもなれなかったジブン」なんて忘れて・・・

街ゆく人が振り向くようなスペシャルな個性を放ちッ!

思いのままに・・・

よけいな肩書きやレッテルも捨て去り・・・

シンデレラのように、私を一瞬でスターに変えてくれる・・・

そう、大人たちが子供そっちのけでハロウィンに夢中になる理由。それは、現実の「ワタシ」から目を背けるペルソナ(仮面)をつけることが許された魔法のパーティだから。ここでは、自分の身分や素性を明かさなくていい。過去の経歴も未来の人生目標も語る必要はない。それぞれが思い思いの姿に変身して、偽りのキャラクターを演じ合うだけで人と交流することができる。

ハロウィンという口実によって堂々と仮装することが許可された夜、「理想と現実のギャップ」という狭間に溜まっていたプライドとコンプレックス=未消化な幼児願望が集結して大きなエネルギーとなり溢れ出した。それが、現代日本ハロウィンの裏の姿。

もちろん、マナーさえ守ればハロウィンというイベントを楽しむのは自由だろう。しかし、10月31日が終われば、いつもの日常へと戻る。マンガのように上手くなどはいかない、いろいろと面倒なことだって多い、地味で平凡で、しかし紛れもなく人生の本番である日常の舞台に戻るのだ。

人が死ぬ時に一番後悔するのは、本当に生きたいように生きなかったこと。やりたいことをやらなかったこと。つまり、自分自身についてきたウソを悔いるのだという。もっと正直に、素直に、心のままに生きればよかったと・・・。
そう考えると、もしかしたらハロウィンが流行る前から、とっくに多くの人が仮面をつけて生きていたのかもしれない。他人の目を気にして、本音を隠し、社会一般的にこうあるべきだろうという常識という仮装を身にまとった・・ハロウィンさながらの現代仮面社会の実態。ハロウィンとはそれが分かりやすいカタチで具現化された現象に過ぎないのかもしれない。

仮装を超えた仮想へ

ハロウィンが、現実から逃れる「カリソメの舞台」として機能している一面を持つように、インターネットもまた「匿名」や「虚偽」が蔓延した世界として安易な自己重要性を満たしてくれるツールだ。ハロウィンと違うのは、すでにスマホを通して日常空間に溶け込んでしまっているということ。さらに今後は映像技術や通信技術の進化、そしてVR(バーチャルリアリティ)の実用化によって、仮想(仮装)と現実(素性)の境界線はさらに薄らいでいく。ハロウィンブームとは、そんな仮想現実の日常化へと進むステップだったのかもしれない。

ハロウィンのコスプレは、あくまでも「一時の気晴らし」の自覚があった。夜の渋谷でいくらはしゃいだところで、自分がアニメの主人公じゃないことくらい分かってる。非日常と日常の区別がつかなくなることはない。しかし、ヴァーチャル世界の“ソレ”は、ドンキで売ってるコスプレ衣装なんてはるかに凌駕するクオリティと臨場感を、しかも手軽にもたらしてくれる。365日、24時間いつでも、ボタンひとつで。理想の世界へ。

巨匠スピルバーグが、映画「レディプレイヤー・ワン」で描いた近未来では、人々はスマホをのぞき込む代わりにVRゴーグルをはめて、自分好みにカスタムしたアバター=デジタル仮装に変身、現実の仕事よりもアイテムや仮想世界のコインを稼ぐことに必死になっている光景が印象的だった。お互い仮想姿で友達になり、素顔も知らない相手と恋におちる。そんな世界が、映画ではなく現実になろうとしているんだ。そうなればもう、エブリデイ・エブリバディ・ハロウィンパーティ!それは果たして人類が求めた楽園となりえるのだろうか。

カオナシと化していく現代人の行く末。

嘘で塗り固め、自分が何者であるのか、生きる意味や自らの由縁と重なるキオクを忘れた大人たちは、道具を介して情報を並べ立てることでしか人と繋がれなくなっていく。ジブリ映画「千と千尋の神隠し」に登場するカオナシは、そんな現代人の孤独な姿を描いたキャラクターだった。己(カオ)を持たない悲しき存在ゆえ、金貨を使ってでしか人と関われないコミュ障のカオナシ。ハロウィンがこんなにも盛り上がるのは、本当の人生を生きられなかったカオナシのような大人が増えたからではないだろうか。

一見華やかに見えるハロウィンの光景、その奥底で渦巻く孤独、満たされない気持ちをインスタントに埋めようとする幼き変身願望。

そんな晴れない気持ちを慰め合うように、今年も街はコスプレ姿の大人で賑わうだろう。仮面を通して繰り広げられる群像劇。きっと数年後には、仮想現実 の世界がやってくるだろうが、やっぱりあなたはあなたのまま咲くべきだ。その素顔、唯一無二の人体が持つ由縁を無視することはできないのだから。そこから重なる縁起と出逢い、仕合わせになることを諦めないでもらいたいと願う、そんな秋の夜。

 

あなたは日本のハロウィン好きですか?

 

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