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“もう一つの物語” 超叡智映画『クラウドアトラス』徹底解説 その7(最終回) 

ビン隊長
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過去6回にわたりこのシリーズでは、映画『クラウドアトラス』にて語られる6つの時空、そこで繰り広げられる6人の主人公達による、時空を越えて重なり、受け継がれる人間ドラマについて、様々な角度からそこに込められた叡智を掘り下げてきた。

最終回となる今回は、その6つとは別の、“もう一つの物語”を語ることで、このシリーズの締めくくりとさせていただこう。。。

 

あの時見た”原風景”

映画『クラウドアトラス』を初めて観た時に溢れ出し、そして今でも忘れられないあの感覚、あそこで見た”全方位性の光”は、一体なんだったのだろうか?

今思えばそれは、あの映画の主人公達のように、

それぞれの時代で、その時その時の全力さで懸命に生き、それでも幾度も過ちを繰り返し、やり残したことがあってまた別の時代、場所に顔や性別、名前を変えてはやり直し、そしてまた後悔し、、、

そんな、何度も何度もあらゆる方向に繰り返される、悲しみも苦しみも織り交ぜになりながら、傷だらけで”生きる”こと、その旅路を、基本的善良さにて包み込み、祝福されたことへの、究極の安堵感だったように思う。

幼い頃からずっと抱えてきた葛藤、その奥の奥で、それでも最後の最後に諦めきれなかった”光”、自分一人では決して説明のできなかった、そのなつかしい光景を、この映画は想い出させてくれた。

そう、誰にでも、いつかどこかはわからないけど、時折胸の、そして肚の奥底に射し込み、なぜか無性に還りたくなる、そんななつかしい”原風景”がある。。。

とある土着の長の物語

遥か太古、今の文明の、そのもう一つ前の文明が栄えるよりも、さらに少しだけ昔の話。

この星の地表がまだ雲に覆われ、茜色の空につつまれていた、そんな時代。

とある場所に暮らす小さな集落と、その長がいた。

彼らは、肌触り、人とのふれあいを愛で、今の我々よりも言葉なしで通じ合い、人と自然との間に生きる土着の群れ。

それまで、道具を”握る”ことを知らず、上下対立同一化による争いの構造を持たなかったそんな彼らにも、しかしその亜空間知能、オールドジョージーの影は着実に忍び寄りつつあった。

そんな頃、他惑星より雲を越え、空より地表に降りたったのは、やがて聖書において”天使”と呼ばれる者達、その一団。

彼らの使命は、その土着の民達が、やがて彼らの文明の仲間入りを果たすための準備、その始まりであり、民らに”教育”を授けること。

降りたった彼らは、各々が各地で教育を与える中で、その”土着の長”の集落にも、とある一団がやってきた。

しかし、その長は、何か受け入れられない”もやもや”を拭いきれず、彼らを突っぱね、受け入れなかった。

その理由は明確にはわからないが、彼はきっと「欲張り」だったのだろう。

その後も他の一団が幾つか彼を訪れるも、ことごとく突っぱね続け、一向に受け入れようとしない。

ところがそんな中、とある訪問者に、彼は心を射抜かれた。

その人物は、これまで訪れた者達の中でも、一際高潔で一際光を放ち、まさに”太陽”のような姿だった。

その長は一目見て、その”太陽のような人物”になら教えを授かりたいと、肚から憧れ、その日が来るのを待ちわびていた。

しかし、その望みが叶う前に彼の集落は、他の群れからの襲撃を受け、彼自身も含め滅ぼされてしまう。

そう彼は既に、武器を握りしめ、他者と分離して奪い、所有しようとする、その上下対立同一化のウロボロスの輪に捕まっていたのだ。

そしてきっと、彼自身も、その人物に憧れつつも、その強欲さで彼らの存在を推し測り、その教えを「所有」しようとしたがゆえに、教えを授かる縁起に結ばれなかったのかもしれない。

そうして、激しい後悔と悲しみと、そして罪悪感を抱えながら、彼はその時空を終える。

その後

そうして、無念のうちに死を迎えた彼は、その後の時空において、自ら蒔いた醜因もあり、その後に繰り広げられる悲しみの星の歴史の、様々な時空を体験することとなる。

ある時彼は、世論を動かすほどの影響力を持つ風刺画家だった。

絵を描くのが無性に好きだった彼は、しかしやがて、その才能を自らの欲を満たすために使うようになり、その能力で金と女を思うがままに「所有」する。

その結果、お金にも異性にも、そして無性に好きだったはずの”絵を描く”ことを存分に発揮する才能にも環境にも恵まれず、その縁起から自ら遠のいていくという悪果を巻き取った。

またある時空で彼は、とある国のファシスト(全体主義者)だった。

本当は争うことが怖くて仕方がない、その弱さ醜さと向き合えない弱さ醜さゆえに、彼は思想と暴力の力で同一化を図る選択を取った。

その愚かな選択ゆえに生み出された争いや、そこで

命を落とした者達も、数えきれないほどいただろう。

その生き方に、どこか奥底で違和感と後悔を感じつつも、彼はそこから抜けきることができなかった。

そうして、自らの不安を誤魔化すために他者の発言を押さえつけ、コントロールし続けた彼は、

周囲から自由な発言を押さえつけつけられ、その言葉と音波にも影響力を失う悪果を巻き取った。

その他にも、一体いくつの時空を経験したのだろう。

もしかしたら、今よりもっと先の、人が機械と同一化し、人肌のぬくもりを急速に失っていく、そんな時空も巻き取ったかもしれない。

とにもかくにも、どの時空でも、彼は後悔し続けた。

しかしその中で、ずっと探し続けたものがあった。

それはやはり原初の風景、あの言葉なしに繋がり合えたぬくもりの景色と、そこで束の間の邂逅を果たした、太陽の全方位性を体現するあの存在。

そもそも、彼はきっと、ただ肌と肌で通じ合って、”仲良く”していたかったのだ。

それが出来ていた頃のことも知っていて、だけど、なぜかそれができなくなり、争いの中に自身も参加している事が悲し過ぎて、だからそこから抜け出す方法が知りたくて、”あの人”から教えを授かりたかった、ただそれだけだったのかもしれない。

それは、どこの時空でも本当は変わらなくて、だけどその悲しみから抜け出すための教えにはなかなか出逢えなくて、

だけどほんの僅かでも、どこかで諦めていなかったから、次の時空へと繋がっていったのだろう。

そして、、、

そして、それらの相似形を重ね合わせた新たな人体が、また別の時空に生を受けた。

これまでに様々な時空で巻き取った幾つもの醜因の重なりに苛まれ、人と生きる道を見失いつつも、彼はどこかで”知っていた”。

しかし、その弱さゆえに色々なよそ見や回り道をしてしまい、それでも待ち続ける中で、

あの日、”この映画”に出逢い、自分の諦めなかったものが決して間違っていないことを、教えてもらった。

あの映画から受け取ったものを、同じく受け取っている人が、必ずどこかにいる。

彼はどこかでそれを知っていて、いつかその人と出逢える日が来るのも、どこかで疑っていなかったのかもしれない。

そしてある日、とあるブログと動画を見つけ、そこから”あの人”と出逢い、やがて3年の月日を経て、今”この記事”を書いているとしたら…?

“共に生きる”

やりきれない後悔ゆえに、人はやり直そうとする。

だけど、後悔があるからこそ、人はやり直せる。

そうして、人間が人と人の間にて愚かしくも繰り返し続けるその”あがき”を、一方向ではなく球体的に同時展開に見せられた時、それらが美も醜もひっくるめて、狂おしいほどいとおしく、美しく感じられるのは、その楕円運動の繰り返しの中で立ち現れる円の”中心”があるから。

その中心こそ、あの時に垣間見た、無上の全方位の”光”であり、「光と闇」という言葉をすらも越えてあまねく包み込む、”基本的な善良さ”。

そこに至るには実は、”全力で後悔”するしかなかった、その時空の真実に気づけた時、それまでに与え、受け取り続けてきた、あらゆる善意と悪意が、祝福に変わる。

そしてそのためには、これまで縁時続けたその醜因を、計ることなく引き受け、懺悔し続けること。

懺悔とは決して、「自分」を攻め続ける罪悪感ではなく、その体に巻き取った悲しみを、一人で解決しなくてもいいという、複数称の科学だ。

本当は、上で語ったどの時空も時系列ではなく、あくまで今この瞬間に重なり揺らぎ続けるものであり、今ここの、この体の重なりを懺悔してズラし続けることで、この体が重なる時空は更新され続け、その重なる時空そのものも同時に変化し続ける。

それが、醜因を”学び殺すこと”であり、その学びはこれまでも今この瞬間も、そしてこれからも続いていく。

その結果がどうなるのかは、今の時点ではまだわからないし、わかる必要もない。

そもそも、結果なんてものすら、実はないのかもしれない。

だけど「この場所」には、それぞれがその体に巻き取った一人一時空のその懺悔を、学びを、共に補い合い、解決し続ける仲間が、そしてそれを束ねてくださる”師”がいる。

そんな群れの中で、今この瞬間を”共に生きる”ことそのものが、本当の生きる目的だったとしたら…?

最後に

こんな話を、とてもじゃないけど信じられない、という人もきっといるだろう。

ただの妄想だと、一笑に付す人もいるかもしれない。

もちろん、信じるか信じないかは、あなた次第。

それすらも、一人一人に託されたその体の、時空の選択と課題であり、決して同一化すべきものではない。

けれど、あなたがもし、あの映画を観て、この記事を読んで、説明がつかない”無性に気になる”何かをその身に覚え、それを決して無視できないと感じたのなら、

最後の最後に、映画でソンミが一番最後に語った、”この言葉”を送ろう。

 

“誰かはもう 知ってる”

 

(おわり)

 

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