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“自因自果と記憶と記録、そして『時空協働創造態』とは?” 超叡智映画『クラウドアトラス』徹底解説 その3

ビン隊長
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前回までの記事はこちら

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その1:  “悲しいから、なつかしいから、僕らはまた、こうして生まれて来た…”
その2:  “「魂」ではない「生まれ変わり」その真実とは…!?”

 

子宮から墓まで  人は他者とつながる

   過去も現在も  すべての罪が

       あらゆる善意が  未来を作る”

 

映画『クラウドアトラス』における6つの時空の登場人物たちは、いつかどこかで見た、聴いた、逢った気のする景色、音楽、そして人とのすれ違い、出逢いを重ねながら、それらと直接または間接的に影響を与え合うことで物語を展開させていく。

そこに深く絡んでくるのが、禅などにおける縁起の法則、RSEL寺子屋においては自因自果と呼んでいるものである。

自因自果とは?

この宇宙において現象化するあらゆる物事には、原因と結果がある。

植物の種が土に蒔かれることで芽を出し花を咲かせるように、種という「因」(原因)が人、モノ、場所との「縁」と結びつくことで「果」(結果)が生まれる。

種(因)は土(縁)との出逢いを経て初めて花(果)となり、どのような土との縁を持つかで、どのような花(果)になるかは変わりうる。

こうした「因縁果」の止まることのない連鎖の中で、私たちは一見なす術なく振り回され、翻弄されるているかのように生き続けるが、実は「そうではない」というのが、この自因自果法則の一番大切なところ。

なぜならこの「因」とは、私たち人間が全く干渉することのできない「宿命」のようなものではなく、この人体が生み出す「観測・選択・連係」のことであり、量子物理学における観測者効果のことである。

それが、映画中盤にてトム・ハンクス演じる科学者アイザックのモノローグに出てくる、「信念」という言葉の意味↓

“信念は恐怖や愛と同じく受け入れるしかない
相対性理論や不確定性原理を理解するように

信念は人生の行路も変える

昨日まで歩いてきた人生が今日 別の方向に向かう

昨日までの僕ならこんな行動はしなかった

時空さえ変えるこれらの力は人の将来像も変えてしまう

我々の誕生前から死後まで消えることはない

我々の人生や選択は量子の軌跡のように瞬間ごとに意味づけられる

我々の人生が交差するその瞬間新たな方向性を指し示す”

 

そして、この観測者効果の正体が、実は人体が巻き取る重力であり、それが実は人体の姿勢=重心によって決まっているというのが、RSELが唱える人体端末理論、そして体動説の要である。

その観測者効果が因となって果が生じるということは、つまり、人の運命は、身体の姿勢、重心によって変えられるということ。

それが、RSELが下腹重心教育を提唱することの意味である。

そして、その「因」である「観測・選択・連係」すなわち人体が巻き取る重力のことを、RSELでは「記憶」と呼び換えている。

記憶とは、回転=関係性

さて、前回の記事の一番最後に、「記憶には2種類ある」と言った。

このことについて、ようやくここから話していこう。

先ほども話したように、記憶とは=人体が生み出す観測者効果のことである。

ここで大切なのは、この記憶=観測者効果は、「自分」という存在単体では生み出され得ないということ。

何を観測するにしても、その対象、相手となる”対”が存在する必要があり、この宇宙のあらゆるものは”対”の間に生み出される回転、すなわち”関係性”によってしか成り立たないことがわかる。

つまり、記憶とはすなわち、”対”による回転=関係性そのものであり、その正体は、その関係性を生み出す静電気の回転情報なのである。

だから、前回話した「相似形による生まれ変わり」というのは、一人の人体の中に記憶という静電気情報がパッケージング化されているのではなく、
人体が、対との関係性=記憶を触覚静電気として巻き取ったものが、別の相似形の人体においてもまた、対との関係性として再現される、ということ。

それが、映画の中で、複数の時空において、同じキャストの演じる姿形の似た相似形の人物同士が関係性を築いていることの意味である。

  

ただしその再現される関係性は、あくまで相似形であって、全く同じではない。

先ほど話したように、同じ「種=記憶」を持ってはいても、出逢う「土=縁起」によって再現される関係性(=結果)は異なる。

だから、どこかの時空における被害者・加害者の関係性が裏返ったり、または少しだけずれたり、または3人以上の関係性において、違った形で互いを相補し合ったりしながら、また新たな関係性=記憶が更新されていく。

  

その中で、段々と縁起が近づいていく相手がいると同時に、逆に段々と縁起が遠のいていく相手もいる。

だから、劇中で21世紀におけるダーモット(トム・ハンクス)とパーティ会場の女性(ハル・ベリー)のように、どこかの時空では深く結びあった関係性が、別の時空ではほんの一瞬、目を合わせて終わりかもしれない。

それもまた、各々の人体の観測・選択・連係によって決定されていく。

その体は、何のために存在する?

そして、こうした対との記憶を重ね、近づきと遠のきを繰り返しながらも、時空を越えて何度も何度も記憶を再現するのは、一言でいうなら、より美しい記憶=関係性を生み出すため。

それは言い換えると、忘れられない、ぬくもりの記憶を更新し続けるため。

その目的のために、この人体は宇宙の内的秩序によってデザインされたというのが、人体端末理論における結論だ。

そう、人体とは、記憶=関係性のために存在するのだ。

だから私たちは、いつかどこかでこの体に巻き取ったぬくもりの記憶を「懐かしい」と感じ、その対に”また逢いたい”という、肚からの慾求に突き動かされる。

そうして、慾求に従って観測・選択・連係するとき、私たちの運命は、”逢いたい誰か”にまた逢える時空へと近づいていく。

それは意識的なものとは限らず、理由の説明できない良心や違和感だったりする。

ハル・ベリー演じるルイサ・レイが、自分でもなぜこんな行動を取るのかがわからず、でも良心に抗えずに原発の陰謀へと自ら足を踏み込んでいくように。

映画『クラウドアトラス』は、各々の主人公たちがそうした、肚の慾求に従って”逢いたい誰か”に逢うための物語だ。

周りのキャストたちは、その主人公たちが”逢いたい誰かに逢う”までをアシストし、また別の時空では、今度は逆にアシストされる。

そんな、”逢いたい誰か”の関係性の相補によって紡がれる記憶の網=「雲の地図」を、人体端末理論においては『radiosonics時空協働創造態』と呼んでいる。

逢いたい人に逢えないのは…?

ところが、私たち自身の人生を振り返ってもわかるように、私たちが紡ぐ関係性は、必ずしも”逢いたい
誰か”との関係性とは限らない。

それどころか、現代社会の関係性においては、そのほとんどが「本当は逢いたいと思っていない」人達との関係性であったりする人がほとんどだろう。

場合によっては今までの人生で「逢いたい誰か」になんか一度も出逢ったことがない、という人もいるかもしれない。

そして、その望まない関係性ゆえに、私たちの人生におけるあらゆる苦しみや葛藤は生まれているといっても過言ではない。

映画においても、6つの物語はどれも、決して本人たちの望まない関係性に巻き込まれる状態からスタートする。

ぬくもりの記憶を紡ぐたに人体を与えられているはずにも関わらず、こうした悲しい状況が生まれるのは、一体どうしてなのだろうか?

それが、「記憶には2種類ある」の残りのもう1種類、ぬくもりの関係性が紡ぐ”記憶”とは別の、頭の中の「記録」の話になる。

今回はそろそろ長くなってきたので、次回は本格的に、この頭の「記録」つまり亜空間知能の話をしていこう。

そしてその話をするなら、この映画における最大の謎である「アイツ」の話もしなくてはならない。

 

“死者は常にそばにいる

     耳を澄ませば彼らの声が聞こえる”

(つづく)

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