近未来へ向けた下腹重心教育メディア

◇Body Figure 職歴インタビュー Vol.2【後編】◇~職歴にどうボディフィギュアが関係していたのか~

花マツル
WRITER
 
この記事を書いている人 - WRITER -
花マツル
花を生けたてまつるる。。

こんにちは。
Body Figure理論活用科のまつるです。

前回に引き続き、キャッスルさんの職歴インタビュー後編をお届けしていきたいと思います!

◇キャッスルさん◇(前:山さん)

ボディフィギュア
➡︎洋なしメインのフジサン隠れ猫背

【顔フィギュア】
➡︎洋なし春日強めの猫背、片目くりせん、いかり、はちくりせん、フジサン

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

(ま)いきなりNYに行こうというのはかなり大きな決断でしたね。その後もアパレル系のデザインか何かの仕事に就かれていたんですか?

(キ)そうですね。NYでも日本の洋服のお直し専門店みたいな所とか、毛皮を扱う会社で働かせて頂いたんですけど、帰国してから就職させて頂いた会社のことを次にお伝えさせて頂きますね。

 

富士ドレス入社

(キ)“富士ドレス”という会社だったんですけど、この会社では中高年女性向けの洋服をデザインをさせて頂いていました。20人くらいの小さな会社でしたね。ニューヨークでデザインの学校に行っていたり、洋服に関わる仕事もしていたので、その経験を活かしたいと思ってこの会社に応募させて頂きました。

(ま)そこでも企画をされていたんですか?

(キ)そこではパターンを作成していました。百貨店にはうちの会社のスペースはもう契約されていて、そこに置く商品のデザインもしていました。

(ま)そうだったんですね。帰国されて、地元で就職されたんですか?

(キ)そうですね。実家に住まわせてもらいながら働いていました。

(ま)そこでの職場の方々との関係性なんかはどうでした?

(キ)社長(くりせん、なで)とは距離が近かったので、色んなことを相談させて頂いていましたね。彼はアホの坂田のように周りを盛り上げる感じの方でした。くりせん的な面倒見の良さがあったので、従業員みんなまとめてよくご飯に連れて行って下さったりもしました。

あと、こんな私によく仕事上の相談やアイデアや意見を求めてくれたりしました。特にそれで意見でぶつかり合ったりすることはなく、ちゃんと聞いて下さっている感じでしたね。私は仕事上ブランクがあったにも関わらず、快く『うちの会社においでよ』と言ってもらえて、好きなようにとまではいかないですけど、自由度高く仕事をさせてもらえていました。

当時父親の体調があまり良くなく、そのことでもよく相談をしていて親身に聞いて下さっていました。

あと、社長の奥さん(丸太、フジサン)ともよく関わりがありましたね。彼女は怒ると丸太特有のかなり圧を出してくる感じがあって、私はよくその場をおさめる中和的な役割をしていました。そんな感じでしたけど、距離感的には丁度いい距離間で接することが出来ていて、よくお菓子をもらっていましたね(笑)

圧を出してくる感じはあったんですけど、私には意外と気を使っていた感じがあって、私は洋ナシ的にサンドバック的な役割をしていた感じもありましたね。でも彼女は気分によって仕事が進まなかったり、夫婦仲が悪くなると仕事に影響があったりしてて、ちょっと嫌だなぁと思うことも時々ありました。

(ま)大企業だと社長なんて中々お逢い出来ないですけど、小さな会社だったから従業員と社長ご夫婦との距離感が近かったんですね。その後もこのご夫婦とは連絡取り合ったりしているんですか?

(キ)そうですね。仕事を辞めた後もたまにですけど色々とこのご夫婦に報告をさせて頂いていたり、ご飯に連れていって下さったりと関係性は今でも続いていますね。

(ま)そうなんですね。会社を辞めた後も関係性を続けていられるのは有り難いことですね。想って頂けてるってことが嬉しいですよね。その会社で働かせて頂いていかがでした?

(キ)そうですね。仕事は楽しかったという感じはあまり覚えていなくて、ちょっとセピア色な記憶が残っていますね。その時は父親の病気のこともあったので、色んな不安が大きくてフジサンのボディフィギュアも影響してか、常に不安で塞いでる感じがありましたね。

職場は社長以外活気がなかった感じでしたが、自分も離婚があったり父親の病気もあったりで心身的に弱って元気なかったですね。当時は本当にキツかった。

でも仕事内容に関しては、おばちゃんの服を扱っていたと言えども、その人がどういう着心地で着てくれるんだろうとか、どんな風に使ってくれるんだろうとか、そういったことを社長と一緒に考えるのが楽しかったですね。やっぱりそのひとつひとつの服にその人のストーリーが刻まれるなーとか。もうフジサンの妄想が炸裂していましたね(笑)

(ま)やっぱりストーリーの部分にすごい惹かれるんですね。

(キ)そうですね。そこを妄想しちゃいますね。でもそうやって働きつつ、父親の看病をしつつという忙しい生活をしている中で、社長に『父親の面倒をしっかり見てあげなさい』と言われ、それがきっかけで仕事を辞めました。

(ま)そうだったんですね。かなり葛藤のあった時期だったんですね。

(キ)そうですね。その後父親が他界して、東京でまたデザインの仕事に就かせて頂いたりしていたんですけど、その頃にグリーンカードが当たって、『よし!またニューヨークに行こう!』と突発的に決めました。

(ま)お!また急な決断ですね。ニューヨークでもまたデザイン系の仕事に就かれたんですか?

(キ)いや、その時にはもうデザインの仕事に戻るのはやめようと思っていました。今までのデザインの仕事だと、忙しい時期は納期の問題もあってかなり残業をしていたので、子供を育てる上では子供を鍵っ子にさせなきゃいけないということもあったので、別の仕事をやろうと思ったんです。当時子供自身も不安定な時期で、子供との時間が取れるならもうどんな仕事でも良いやという想いで求人を見たら紀伊国屋を発見したのでそのまま応募しました。

紀伊国屋に入社

(ま)紀伊国屋!また今までとは全然違う職業ですね。

(キ)そうですね。今でも記憶に残っているのが、面接で『なぜここで働きたいんですか?』と言われた時に、家庭の事情はちょっと言えないなと思っていたので、どう伝えようかなと思っていて。

それで『私は人が好きなので』と言おうと思ったのですが、緊張しすぎていて『I like human being.(人類が好きだ)』と言ってしまい、面接担当者に『君はマイケルジャクソンか』とつっこまれました(笑)本屋さんで働いた経験はなかったですけど、でもそれで何かが通じたらしく採用になりましたね。

(ま)またツッコミが・・・(笑)本屋さんも色んな業務があると思うんですけど、どの様な業務をなさっていたんですか?

(キ)日本のCDを買い付ける担当になりました。アメリカに住んでる日本人の人たちにも聴いてもらえるようなものをネットで買い付けるバイヤーをやっていました。4年くらいこの業務を担当していましたね。

各フロアー各部署にカウンターがあって、そこで注文を受けて日本に買い付けをするという流れでした。注文発注、問い合わせ対応というカスタマーサービス的な業務を行っていました。

今までの企画・デザインの仕事では同じ会社の人たちや取引先の関係者と商談をすることが多かったので、初めて直接お客様と関わる仕事でしたね。本当に色んな人がお店に来るので、色んな人達と接する機会に恵まれて、そこで人って色んな人生があるんだということをほんの短い時間で感じることが時々ありました。

例えば、ガンを煩っていた女性の話ですと、彼女にとってはこの曲が最後の一枚になるかもなと思ったんです。だからちゃんとひとつひとつ仕事をやろうと思って。その時に感じたのが、人の人生の中に自分が関わってるんだなということ。私からしたらたくさんのお客様の中の1人だけど、彼女からしたら私しかその聞きたい曲を届けられない。そこではただのパート社員だったけど、その人にとってはすごく大事な注文を受ける責任ある一人だなと感じました。

(ま)とても貴重で大事なご縁に恵まれたんですね。その曲はそのお客様にお届けすることは出来たんですか?

(キ)はい!ちゃんとお届け出来ました。すごく喜んで頂けました。

(ま)良かったですね。

(キ)はい。紀伊国屋では9年働かせて頂いたんですけど、後半の5年くらいは日本雑誌の買い付けを担当させて頂きました。フロアー毎にスタッフみんなで連係して注文を受けたり商品を探したりしていました。特にそのフロアーは日本人のお客様が多くいらしてましたね。

(ま)そこでのスタッフとの連係はどんな感じだったんですか?

(キ)T君(当時20歳くらい/イカリ)というクールな顔して人をちょっと驚かせるのが好きな面白い子がいたんです。彼はすっごいコミュ障で、英語も全く話せない状態でアメリカに来て右も左もわからない状態だったんですね。内向的で余計なことはあまり話さないけど、時々漏らしてくる話がシュールに面白かったり、かと思ったら真剣な話しをしてくれたり、年は離れていたけど実直で信頼のおける方でした。
栗原類君的な不思議さ満載な感じでしたね。常にETの指というおもちゃを持っていて、私によくちょっかいを出して来て結構仲良しでしたよ。私、ちょっと不思議な人と仲良くなる性質があるかもしれないですね。

(ま)栗原類君的な感じだと結構不思議ちゃんですね。他のスタッフの方も不思議な感じの方だったんですか?

(キ)店長のHさん(くみせんかも、ポッキー)は人とちゃんと向き合おうとする方でしたね。50人近くいるスタッフのシフトを組む担当だったので、一人一人と本当に親密に関わって、それぞれの相性をちゃんと理解しようとしていました。朝一番に出勤して閉店後も最後までいて、すごく責任感の強い方でもありましたね。悩みに対してもちゃんと一人一人とコミュニケーションをとってそれを自分のノートに残しておくくらい真摯に向き合ってくれる方でした。

その店長の人との向き合い方に私はすごく尊敬の念を持っていました。

ちゃんと相手の背景を感じてくれる方で、そこを絶対に忘れずにコミュニケーションとる姿勢にすごく惹かれていました。人を育てるのがすごく上手な方だったなという印象が今でも残っています。

(ま)自分のことしか見えてない方も多い現代人の特徴がある中で、相手の背景を忘れずに接して下さるというのは本当有り難いことですよね。

(キ)そうですね。あと、急に私のことを『お姫様ー!』と連呼するアメリカ人の常連さんがいたり、キティちゃんの人形を抱えながらそのキティちゃんと会話しながら買いに来るお客様がいたり、ユダヤ人の方で私でさえも難しいなと思う日本の文庫本を大量に買っていく人がいたり、変わった人たちが本当にたくさんいましたね。

あと、私が紀伊国屋を辞める最後の日に、よくお店に来てくれるおばちゃんと世間話をしていて、『あなたも色々あると思うけどもう逢えないのね』と、かぶっていた帽子をちゃんととって深々とお辞儀をされた時は、そこに日本の礼節を感じ、そこに流れていた時間はお金では買えないなとすごく感じたのを覚えています。
ニューヨークの時間の流れにはない、日本人としての礼節、そこに漂った空気感はなんとも言えない、相手を想う気持ちで通じ合う場でした。
職場で歓迎会もその後やって頂いたけれど、あのおばちゃんとの一瞬が今でも忘れられません。その礼という仕草の中にlogosを感じました。

(ま)そうだったんですね。海外にいると余計に感じるかもしれないですね。でも良いですよね、日本の礼節文化。ニューヨークの本屋さんだと本当に色んな方々が来店されそうですね。

(キ)そうですね。デザイナーという肩書きを持ってた時よりも何もない書店のパートであった時の方が全然人との出逢いの濃密さが違いましたね。デザイナーの時は直接お客様と触れ合う感じではなかったので、想像でしかお客様をイメージできなかっけれど、紀伊国屋ではリアルに人の人生を目の前に感じれる瞬間がたくさんあって、すごく貴重な時間を経験させて頂いてたなという感じですね。

そこから日本へ再び戻り、寺子屋に来てからも書店が好きで書店で働きながら寺子屋で学ぶ生活を送っています。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

キャッスルさんの職歴インタビューいかがでしたか?
デザインという仕事に関してはイメージを膨らませるフジサンのボディフィギュアがすごく役立っていたと思います。
あと、洋ナシの踏ん張り力もキャッスルさんの経験してきたハードな仕事環境においてはすごく発揮されていたと思いますし、情に厚いという部分でも他者のストーリー性を感じたいというところにも現れてるのかなとも思います。
職歴を振り返ってみると、自分史解析の様な感じでその人の癖や独特な物語りが見えてくるので面白いな~と感じます。

ではでは今回はこのへんで~。

この記事を書いている人 - WRITER -
花マツル
花を生けたてまつるる。。

Copyright© RSELeaks , 2018 All Rights Reserved.