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質問「大事な人と死別してしまいました。ぬくもりはどうすれば感じられますか?」

ドンキ
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ドンキ

 

「死」

 

普段は見ないように、見ないように
まるで自分には関係ないかのように日常を生きている気になっているけど、
実際に身近な人の「死」を目の当たりにしたときに、その日常の予定調和にバグが入る。

でも、それは本当はいつもあるもの。
見ないようにしていただけで、何かで覆い隠していただけで。
閉じこもっていた自分の中に”それ”が入ってきたときにだけ「うわあ・・・!」って・・・。

 

「どうでもよかったっ・・・!」って死ぬときに思っても遅い。

「生きるってこんなもんじゃなかった・・・!」って死ぬときになって思っても遅い。

 

現代に生きる我々がどこかに忘れ去ってしまった、
人の悲しみを本当の意味で受け止めていく峻厳さ、高潔さ、品性、ぬくもり

簡単な言葉や安直な言葉には置き換えられない、
「生きること」「死ぬこと」を踏まえ弁えた、

 

「人間存在」として、どうあるべきか・・・!?

 

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今回は、とあるリスナーさんからの質問に答えた
「人間存在」に肉薄するあの回をご紹介します!

 

RSELが伝えていきたい本質はここに・・・!

 

 

冒頭14分、Master響が語る「生きるとは・・・人間存在とは・・・」

 


双樹
リスナーさんからの質問で「若い時に最も大事な人と死別して、自分を見失ってしまいました。「ぬくもり」を感じて生きていくにはどうしたらいいですか?」

Master響 これはいい質問ですね。まともな質問ですね。揺らぎがあって。
自分の身近な人で質問されたらどう?

謝花也 自分を見失ってしまったってことは、死別してしまった人との重なりが強かった・・・ってことですよね。

Master響 逆に言うとそれぐらい重ねてたってことになるよね。

謝花也 喪失感があって、ぬくもりなんてっていう感じになってるってことですよね。

Master響 これって結構、すげぇ揺らぎがあってこの質問はふざけてなくて、多分この人本当にすげぇ感じてて。短いがゆえに結構リアルなんだよね。回りくどく説明してないってことは多分、すげぇ大事なんですよ。ちゃんと想ってるからベラベラ語りたくないっていう意味を感じるんですよ。この人の質問はすごく人間存在を感じて、先生は。デジタル情報でしかないんだけどディスプレイの上では。だけど、なんだろ、真剣に答えてあげたいのは、喪失感を抱えるっていう事が何を意味しているかていう話じゃないですか。

それは肉体の重要性ということ。逆説だけど、信仰っていうのがある。ここでは霊魂主義切りをしているわけであって、人体賛美がベースにあるわけ。人体持つことの偉大さと儚さが大切だと。いう事であって。つまり、逆説だけど、この人は、要は怠惰じゃないってことですよ。ちゃんと喪失感を味わっているってことなんですよ。で喪失感を埋め合わせる怠惰が「信仰なんですよ。

 

 

野口晴哉氏の生き様に見る「人間存在」とは・・・?


Master響 
これは比喩で言ってしまうけど、野口先生、野口晴哉氏という私が尊敬する偉大な明治の治療家がいて。

野口先生が、大事な娘さんを―4人息子さんがいるんだけど―長女が初めて生まれて7~8歳の時に、風呂場で転んで頭を打撲しちゃったと。直ぐには亡くならなかった。
でも、野口先生はプロ中のプロだから分かるはずだったのに、その時いろいろあって見逃してしまってその後、急死してしまった、何の因果か。

そっから奥さんは苦しくて苦しくて、普段はそう言う人じゃないのに、色々理由を見つけたかったんですよ。死んだ理由を。で、死んだ理由を探して、それが家の方角とかいわゆる俗に言う「占い」とかにいっちゃったと。あんな偉大な感性の塊の様な旦那さんが居てもそれにすがってしまった。

その時、野口先生がつっぱねたのが、奥さんが語ってた伝記の中で書かれてた話で、
それは、「あなたはズルい」と。「そういうことはだめだ」と。
「そういうことで正当化してはだめだ。まるごと受け止めて、色を付けるな」と。

要は、それは固定点だし言葉。その方角で凶だったからこの子が死んじゃって・・・とか、前世こうだったから・・・とかは野口先生の触覚的には許せなかった。要は美しくないと、それはそれで起きたことであり、逆にそれを全部背負うことの、まあここでは”慧露さ”とも言ってるけど、エロスが大事だと。
で、「あなたはズルい」と。というのを言われた時にハッとした、と。

先生は、何も言わず一言もその事について、言い訳がましいこととか、俺がああだったからとかも一言も言わないで、ただただ「生きる」ということで示していた、と。

で、それが長年(経って)時差で受け止めたのが、野口先生が50代過ぎて孫の姿とかを見て、孫娘が生まれた時に、その先生の孫娘を見る目の輝きを見て、面影を重ねて、ああそういうことだったんだって。
先生はそこまで圧縮して、こらえてこらえて、絶対それを言い訳しないで、固定点を作らないで、ああだからこうだからと言わないで、”生きる”ことで、そして”戻ってくるもの”や”繋がるもの”でちゃんと見い出そうとしていた、と。

もう素晴らしい・・・これこそが、美なんですよ生きてる。人間存在としての高解像度の姿であって。そこには何の嘘っぽさもなければ、変なフワフワした抽象的な言葉で言い逃れていない姿がそこにはあって。
それが、孫娘さんが娘さんの生まれ変わりとかではなくて。

 

重心論的「ぬくもり」の感じ方

Master響 この話の意味合いの深さっていうか、ただ生きていくしかないんですよ。そんなのに、テクニックでこう言うお経唱えたり、あなたのカルマがあるからとか、そう言うのは全部頭の世界。

あなたが、びりびり皮膚でどうしても感じてしまう、そのどうしても辛い喪失感、痛みは、ただただ生きるしかない。
生きて生きて―それがここでは”時差恋”って言うけど―時差でその意味が体に重ねられる日が必ず来るから、それを怠惰で負けないでくださいってことですよね。

要は「それにも意味があったんだよ」とか他者に言わせちゃいけない、それを受け入れちゃ駄目だし、それを安易に占い師や霊感ある人にとかそう言うのじゃないです。と。

ただ、あなたの全身で感じている喪失感とかも、目の前に体に触れられないとか、声を聴けないとかを、全身で受け止めてその痛みと共に日々生きてください。

生きて、生きて、生きて、生きて生きた時に、あなたにしか重ならない面影が現れるし、景色かもしれないし、感覚かもしれないし、感情かもしれないし、印象波かもしれないけど、それですよって言うのが、
「ぬくもり」なんて、こうでこうすればあそこに行けばありますとか、じゃ別の人を探せば、とかそんなんじゃないです。それはその状況色々ありますから。

生きることです。その痛みのまま生きていくことです。それを人の頭で見ている思考で挿ませないこと。
それがここで言う、重心論的な「ぬくもり」の感じ方ですかね。

喪失を抱えるし、誰でも離別や死別はあるし、会えないってことの悲しさはあなただけのものでもなければ、色いろな人が皆順番で時差で味わっているものであって、その時に湿布的な、対処療法に逃げた時に、一番苦しいのは、その記憶を大事にしていた方が、痛い方がマシだったって気付くべきですよね。喪失感がある方がマシなんですよ。それが、頭重心で分かったような状態で癒しているのは、偽物というか美ではないと。本当のレクイエムではないと。私は思います。

ただ、やはりだからこそ生きるしかないですよね。そんな安直な方法論なんて言ってはならないですよね。そう思いますよ。
それは、この方が重ねてきた、その人にしかない揺らぎがあるから、そんなのこっちが安直に「こうこうこうで、これがぬくもりです。」なんてのは、違うし。

 

肚を据えて、肚を括って、肚と共に生きることが下腹重心

Master響 ただ、感じます。この人のたった3行、4行のたった短い文章で全然開示していないけど、感じますよ、と。

すげー感じるし、伝わるから、だから、生きましょう、そういうあなたの感性をちゃんと信頼してあげてください。
ちゃんと喪失感を感じて、壊れちゃうくらい想ってた、揺らいで想いを重ねていた自分と共に、その痛みと共に生きて下さい。狂いそうかもしれないけど、その狂いそうな自分も愛しながら生きていってほしい。それを重ねながら生きてください。それを狂ってるとかどうこうじゃないです。壊れそうなのがどうこうじゃない。そういうのに手当てしないでください。それを重ねて欲しいです。

その為には、やっぱり体、重心。やっぱり肚(ハラ)をつくると、ここで言ってる胆力ですね。丹田ですね。
だからここで蹲踞って言って、下腹重心っていって肚なんですよ。

昔の人間は皆、肚で受け止めたんです。もっと早く皆死んでたし、もっと目の前で色んな人が死んでた時代がいっぱいあったんです。だから今の時代は急に死んだりとか、不慮の事故とか急病とかで死んじゃったらと、びっくりしちゃって肚で受け止められない、それを重ねて肚で受け止めながら生きるってことが、そんな背中を見せるってことが全然出来ないんですよね、現代っ子で。

だけど、一応マスター響としての、叡智を養っていく者としての伝えられること、伝導出来ることは、このことですね。ちゃんと痛みを共に重ねてしっかり生きてください。肚を据えて、肚を括って、肚と共に生きてください。という事ですね。それが、逆にその人を想っている事だし、その人の供養にもなってる。

小手先は要らない、何度泣いたって良いし、何度悔やんだって良いし、何度虚しくなっても良いし・・・
でもそれがその人と、あなたが持っていた「揺らぎ」です。すごく揺らいでて宇宙なんですね。宇宙の揺らぎと一緒なんです。それが震えてるんです、振動してるんです。震えてるからいいんです。震えが止まらないよりは震え続けてください。

悲しくても良いし、苦しくても良いし、壊れちゃってもいいです。震えてるんです。震えてるってことは、その人と一緒に居たっていう記憶との重なりで震えてるんです。

それを感じて感じて感じて感じまくって、肚で耐えて耐えて凌いで凌いで凌いで、生き切って、あなたが目を閉じて、本当にこの生涯を終えた時に答えが全部見えます。

それが俺の言えることです。

それを私はこの寺子屋ではちゃんと教えています。
霊魂主義的な、新興宗教的な、天国とかアセンションといった言葉で逃げたり酔ったりは私は一切しません。
この人体をもって、人間存在として、平易な言葉で真剣に生きてく。
死んだ者や悲しみと言うものをどうやって束ねてこの生涯を遂げていくかという事を教えています。

それが寺子屋の宇宙海賊団船長のある種フィロソフィーです。

 

——–エンディング————–

謝花也 はい・・・うん。
やっぱり・・・全てに共通して言えるのは、踏まえて生きましょう、と。

Master響 うん。そんな安直な心なんてないです。ないです。
それを俺たちは学んでるよな。学び合ってるよな。感じ合ってるよな。ここではな。
そんなただのグレイどうこうとか、シュメール人どうこうとか、天皇財閥どうこうとか、そこじゃないよな。
それもあるけど、それ以上に大事なものをここは教えてる場所だよな。学び合ってる場所だよな。それを語ってる場所だよな。寺子屋ではな。

謝花也 そうですね。

 

以下『感想編』(約30分)

 

 

「生きた大人になりたいって思いました・・・」

 

背中。

それを受け取る人がいて、見る人がいた時に、裏返って、生き返る

生きることの一瞬の閃光・・・それは怠惰ではできない」

 

「しみったれてねえっていうかさ。空なんだよね。スカーンッて・・

だけど強いし、あったかいし、美しいし、やさしいし、速いし

全部を包んでるのが、やっぱりいいっすよね・・・」

 

死ぬのも一瞬、生まれるのも一瞬・・・

でも実はその一瞬の為にすべてがあるかもしれない

すべての一瞬を丁寧に”揺らぎ”を重ね、”面影”を重ね合わせる

そんな体構えと心構えを磨いて、日々切磋琢磨するのが寺子屋であってほしい」

 

今宵もRSELは

一瞬を生きることの美を

学び続けている・・・

 

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